赤坂氷川神社 https://www.akasakahikawa.or.jp/
赤坂氷川神社は951年に創祀され、徳川吉宗が現在の地に現在の社殿を建立するように命じた。
安政の大地震、関東大震災、東京大空襲の被災を免れ、江戸時代のままの姿を残しているらしい。
勝海舟は付近に屋敷があり、赤坂の地とは縁が深かったよう。
氷川神社は、勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟がそれぞれ「氷川神社」と記した掛け軸、幕末三舟掛軸「氷川神社」というものを所蔵している。
赤坂氷川神社は、東京十社の一つ。
1975年(昭和50年)に昭和天皇の即位50年を奉祝して、元准勅祭神社である12社のうち六所神社と鷲宮神社以外の十社を巡拝する企画が立案された。
これが東京十社めぐりの始まりで、その道のりは十里七丁(約40㎞)。
准勅祭神社とは、1868年(明治元年)に明治天皇が定めた、東京の鎮護と万民の平安を祈願する神社。
東京十社めぐり http://10jinja.tokyo/
「一千年の歴史を誇る」芝大神宮 http://www.shibadaijingu.com/
「新東京八名勝」品川神社 https://shinagawajinja.tokyo/
「赤坂の鎮守社」赤坂氷川神社 https://www.akasakahikawa.or.jp/
「皇城の鎮」日枝神社 https://www.hiejinja.net/
「美しき紫陽花の名所」白山神社 ※公式サイトの記載なし
「開運除災・子育大願」王子神社 http://ojijinja.tokyo.jp/
「日本武尊創祀の古社」根津神社 http://www.nedujinja.or.jp/
「江戸総鎮守」神田神社 https://www.kandamyoujin.or.jp/
「亀戸の天神さま」亀戸天神社 http://kameidotenjin.or.jp/
「江戸最大の八幡様」富岡八幡宮 http://www.tomiokahachimangu.or.jp/
今日のホテルは、レムプラス銀座。
ダブルルーム18㎡、素泊まり。
レムプラス銀座 https://www.hankyu-hotel.com/hotel/remm/ginza
夕食は銀座天國の天丼A丼で、デザートは資生堂パーラーのケーキ。
どちらもホテルから近くて有り難い。
銀座天國は、1885年(明治18年)に銀座3丁目で開業。
天國の歴史というページは、以下のように銀座の歴史も載っていて面白い。
明治39年 乃木大将が銀座通りを凱旋行進
大正10年 この頃・銀ブラ・という言葉が流行・コーヒー1杯10銭
https://www.tenkuni.com/history/
資生堂は、1872年(明治5年)に日本初の民間洋風調剤薬局として銀座で創業。
下記は資生堂のホームページによる名前の由来。
資生堂という名は、中国の古典「易経」の中の「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる」という意味の一節に由来します。ここから新たな文化を生み出そうとする決意を込めた社名であり、西洋薬学に基づく新事業を興すにあたり、東洋哲学から命名するという、「和魂洋才」の考え方がよく現れています。
https://corp.shiseido.com/jp/company/history/
浅草・隅田川公園・築地本願寺
前日、夕方だったためか行列がなかったので、亀十でどら焼きを購入。
東京三大どら焼きの一つとも言われ、職人がその日の気温と湿度に合わせて調節しながら手ごねして作り上げる生地はパンケーキのようなふわふわな食感で、餡の上品な甘さとの相性も抜群だそう。(公式ホームページは見付けられなかった)
昨日は先週と同じ、ホテルグレイスリー浅草に宿泊。
ダブルルーム18㎡(バス・トイレ別)、素泊まり。
今日はまず、隅田川公園へ。
一週間前はほとんど咲いていなかった桜が満開だった。
そして、鳴門鯛焼本舗の天然たいやきを食べる。
天然たいやきとは、一匹ずつ丁寧に焼く一丁焼きという焼き上げ製法のことを言い、鯛焼職人が一丁2キロもある焼型に生地と餡をのせ、直火で短時間で焼き上げるため皮の表面がパリッとして香り高く仕上がるらしい。
たい焼きの歴史は、明治42年に庶民には手の届かない鯛をかたどって作ったのが始まりのよう。
浅草駅から浅草線で約10分、東銀座駅へ。
浄土真宗本願寺派、築地本願寺へ。
1617年の創建だが、明暦の大火と関東大震災に伴う火災により2度本堂を焼失し、1934年に現在の本堂の姿となった。
明暦の大火後に、再建のため当時は海だった現在の場所を埋め立てて土地を築いたことが「築地」という名称の由来になっている。
現在の建物は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太の設計によるもの。
建築研究のためアジア各国を旅した伊東忠太と、仏教伝来ルートを明らかにするためにシルクロードを旅した大谷光瑞(当時の浄土真宗本願寺派門主)との出会いが縁となっているらしい。
インド等アジアの古代仏教建築を模した外観や本堂入り口のステンドグラス、数多くの動物の彫刻などが特徴で、シルクロードを伝わる仏教伝来のルーツを表しているよう。
その一方で、内観は中央正面に本尊阿弥陀如来が安置しているなど、伝統的な浄土真宗寺院の造りとなっている。
動物の彫刻については、本堂正面にある有翼の獅子をはじめ、牛、馬、象、孔雀、猿など全13種の動物・霊獣像がお寺の各所に隠れているらしい。
更に本堂にはパイプオルガンがある。
1970年に仏教音楽の普及を願って寄贈されたもので、法要行事や結婚式の他、毎月最終金曜日に行われるランチタイムコンサートで楽しむことができるそう。
浄土真宗の教えによると御朱印、おみくじ、お守りはないようで築地本願寺には用意されていないが、その代わりにカフェやオフィシャルショップ、ブックセンターがある。
築地本願寺カフェ Tsumugiでは、「18品の朝ごはん」などの仏教や浄土真宗にちなんだ朝食やランチの他、築地本願寺オリジナルのブレンドティーやスイーツ、アルコール類を楽しめる。
オフィシャルショップは仏事関連の商品や文具雑貨等を取り揃えており、本堂の意匠や歴史をモチーフとした築地本願寺オリジナルの手拭いやトートバッグなども限定販売している。
以前、浅草を訪れた時の記事。
寛永寺・浅草
今日の目的地は、江戸時代の天台宗三大本山の一つ、東叡山 寛永寺。(他は比叡山と日光山)
1625年(寛永2年)に天海によって江戸城の鬼門(東北)にあたる上野に建立された。
これは平安時代に最澄が開いた比叡山延暦寺が京都御所の鬼門に位置したことに倣ったもので、山号は東の比叡山という意味で東叡山、寺号も延暦寺と同様に創建時の元号を使用して寛永寺と命名された。
比叡山延暦寺を江戸に再現しようと、延暦寺の前例に倣って創建され、主要伽藍も全て延暦寺に倣って造営された。
更に、不忍池の辯才天(近江竹生嶋)、清水観音堂(京都五条坂清水寺)、祇園堂(京都八坂)など、比叡山のある山城(京都)と近江(滋賀)から代表的な寺院も写した。
上野駅から、日本で最初の都市公園である上野公園へ。
東京国立博物館、国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、東京藝術大学美術館、上野の森美術館、下町風俗資料館などの博物館・美術館以外にも、日本芸術院、日本学士院、東京文化会館、旧東京音楽学校奏楽堂などの施設、そして上野動物園に、野球場(正岡子規記念球場)がある。
上野公園は日本さくら名所100選に選定されているが、その桜は寛永寺を創建した天海が吉野山から移植させたことに始まるらしい。
開花に向けて道が整備されていたが、まだほとんど咲いていなかった。
まずは、上野東照宮。
徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜を祀っていて、社殿や唐門などは1651年に造営されたもの。
ぼたん苑では春と冬に牡丹が見られるよう。
次は、上野大仏(パゴダ)。
1631年に建立された約6メートルの大仏だったが、関東大震災により首が落ち、第二次大戦時に軍により胴体を徴用されて、顔のみが残っている。大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立されている。
胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で合格大仏とも呼ばれ、受験生が祈願するらしい。
続いて、清水観音堂、不忍池辯天堂。
清水観音堂は京都の清水寺を模した舞台造りのお堂。
不忍池辯天堂は、琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に築かれた中之島に、竹生島の宝厳寺に見立てて建立されたお堂。当初はお堂に参詣するのに船を使用していたが、参詣者の増加に伴い江戸時代に橋が架けられたらしい。
竹生島には行ったことがあり、かわらけ投げをした記憶がある。
そして、開山堂から根本中堂へ。
開山堂は、寛永寺の開山である天海(と天海が尊崇していた慈恵大師良源)を祀るお堂。初建は1644年だが、現在のものは1993年に再建された。
根本中堂の付近には徳川慶喜が謹慎した葵の間もあるよう。
最後は、徳川歴代将軍御霊廟。
建物は第二次大戦でほとんどが焼失したが、4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6名が埋葬されている。
特別参拝で御霊廟と葵の間を見られるようだが、通常は常憲院殿(徳川綱吉霊廟)勅額門だけ見られる。
上野駅から銀座線で約5分、浅草駅へ。
仲見世通りの九重で揚げ饅頭を食べて、浅草寺に参拝。
隅田川公園の桜はまだだった。
夜は、隅田川沿いから見るスカイツリー、アサヒグループ本社ビルとオブジェ、吾妻橋の夜景が綺麗だった。
アサヒグループ本社ビル(アサヒビールタワー)は琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で泡のあふれるビールジョッキをイメージしていて、隣接するスーパードライホール屋上の炎のオブジェは躍進するアサヒビールの心の象徴らしい。
今日のホテルは、ホテルグレイスリー浅草。
ダブルルーム18㎡(バス・トイレ別)、素泊まり。
翌日、喫茶店友路有(トゥモロー)でホットサンドハムチーズセットを食べて、梅園(1854年 (安政元年)創業)のあんみつを買って帰る。
以前、浅草を訪れた時の記事。
増上寺・徳川将軍家墓所
大門駅から歩いて、芝大神宮に向かう。
芝大神宮は1005年(一条天皇の時代)に創建され、伊勢神宮の天照大御神(内宮)と豊受大神(外宮)を主祭神としてお祀りしているため「関東のお伊勢さま」とも呼ばれるらしい。
大門を通り、三門から、浄土宗大本山 増上寺へ。
1393年に創建された浄土宗の七大本山の一つで、上野寛永寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺。
2024年には浄土宗開宗850年を迎えるらしい。
大殿は2021年10月まで屋根瓦葺き替え工事中(参詣は可能)で、軽く強く腐食しないチタン製の瓦になるよう。
足場で覆われているが、背後の東京タワーと良い絵になっている。
地下の宝物展示室は徳川家康没後400年の2015年に開設された。
徳川将軍家墓所拝観とのセット券(1,000円)で入る。
展示の中心は台徳院殿霊廟模型。
台徳院殿霊廟は三代家光によって造営された二代秀忠の御霊屋で、日光東照宮のプロトタイプとなった霊廟だったが、1945年の戦災により焼失した。
その霊廟の10分の1の模型が1910年の日英博覧会に出品され、博覧会終了後に英国王室へ贈呈された。それ以降ロイヤル・コレクションの一つとして英国で保管されてきたものが、増上寺に貸与され、展示室に常設展示されている。
大殿の隣の安国殿は、2011年の法然上人八百年御忌を記念し、2010年に新しく建立された。
恵心僧都の作と伝えられる黒本尊は、家康が尊崇した阿弥陀如来像で、勝運・厄除けの仏様として江戸時代以来尊崇をあつめているらしい。
徳川将軍家墓所に向かう途中にある、千躰子育地蔵はとても可愛らしかった。
窓口で「徳川将軍家旧御霊屋 絵葉書」を貰って中に入ると、狭いが静かな場所で、ここも背後の東京タワーとの景色が良かった。
二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六人の将軍の他、家茂の正室和宮など将軍の正室・側室・子女を合わせて38名が埋葬されているらしい。
圓光大師堂を見て、増上寺を去る。
芝離宮、浜離宮と歩いたが、どちらもコロナウイルスのため臨時休園中。
新橋から都営浅草線で約15分、押上(スカイツリー前)へ。
前回は気付かなかったが、スカイツリーの展望回廊でヱヴァンゲリヲンのイベントが行われていた。
夕食は牛たん炭焼利休の牛たん定食。
夜食用に道頓堀くくるのたこ焼きと、サードシュガーのシュークリームを購入。
今日のホテルも、リッチモンドホテルプレミア東京押上。
シングル18.9㎡、素泊まり。
翌日、ソラマチのコンディトライ神戸でドン・プリン・フォルマッジ(プリンのようなチーズケーキ)を買って帰る。
浅草寺
まずは鰻やっこで、うな重ランチを食べる。
創業は200年以上前の寛政年間(1789~1801年)で、11代将軍 徳川家斉の頃らしい。
勝海舟とジョン万次郎の2人が連れ立って来たり、夏目漱石の「虞美人草」などに登場したりしたよう。
雷門から仲見世通りを歩いて、浅草寺へ。
雷門は風神・雷神が守護する浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」。
現在の門は、1960年にパナソニック創業者・松下幸之助の寄進により再建された。
仲見世通りは雷門から宝蔵門まで約250m続く浅草寺の表参道。
参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ、日本で最も古い商店街の一つ。
浅草寺の始まりは飛鳥時代の628年(推古天皇36年) 、東京都内最古の寺で1400年近い歴史をもつ。源頼朝が平家追討に際して勝利を祈願したことに始まり、足利尊氏、徳川家康と、幕府を開いた3人の全てと関わりがある。
国宝に指定されていた旧本堂は1945年3月10日の東京大空襲により焼失したが、1958年に再建された。本堂はこれまで幾度も被災し、縁起や記録類によると現在まで20回近く再建されてきたらしい。
五重塔、弁天山の時の鐘、浅草神社も見る。
伝法院という非公開の庭園もあるよう。
隅田川に架かる吾妻橋を見てから、都営浅草線で約3分、押上(スカイツリー前)へ。
夕食はソラマチの回転寿しトリトン。
生スイートポテト専門店OIMOでデザートを買って帰る。
今日のホテルは、リッチモンドホテルプレミア東京押上。
シングル18.9㎡、素泊まり。
乃木神社
乃木神社は、名前の通り、乃木将軍夫妻(乃木希典、乃木静子)を祀る。
乃木希典は陸軍大将や学習院長、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係を務め、1912年9月13日の大喪の日に明治天皇の後を慕って殉死した。
乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂と呼ばれていた坂の名前が乃木坂と改められた。
下記の2つは辞世の句。
神あがりあがりましぬる大君の みあとはるかにをろがみまつる
うつ志世を神去りましゝ大君乃 みあと志たひて我はゆくなり
乃木神社は1923年11月1日に、乃木夫妻が自刃した旧乃木邸の隣に創建された。
旧乃木邸は乃木将軍の遺言により東京市に寄贈され、現在も乃木公園として旧乃木邸・厩(馬小屋)が残されている。
明治神宮は1920年11月1日創建なので、明治神宮と乃木神社の創建の日が同じというのが良い。
明治神宮は2020年に鎮座百年祭が行われていたが、乃木神社は2023年に鎮座百年を迎える。
乃木神社の宝物殿(無料)には、乃木将軍の石膏像、殉死で使用された刀をはじめ、遺言、勲章、漢詩などが展示されている。
乃木家の墓所は近くの青山霊園にある。
乃木将軍は1911年に墓石を選び、予め裏面に「明治□十□年□月□日」の文字を刻んでいたようで、明治天皇に殉じるという覚悟が窺われる。
埋葬時には大正元年九月十三日と併記されたらしい。
乃木神社から歩いて、虎屋菓寮へ。
草入玉手箱と抹茶グラッセのセットを頼む。
草入玉手箱は赤坂店限定の生菓子らしいが、想像より小さかった。
地下の虎屋 赤坂ギャラリーでは、「ようこそ!お菓子の国へ ―日本とフランス 甘い物語―」という企画展が行われていた。
とらやパリ店の40周年を記念したもので、ピエール・エルメ・パリと協力し、和菓子・フランス菓子を歴史、くらしとの関わり、職人など、様々な切り口で紹介していた。
寒川神社
相模國一之宮で、全国唯一の八方除の守護神として約1600年の歴史を持つ神社。
具体的な年代はわかっていないが、総国風土記によると雄略天皇の時代には存在していたよう。
ホームページによると、八方除とは地相・家相・方位・日柄などに起因するすべての禍事・災難を取り除き、家業繁栄・福徳円満をもたらす、寒川大明神の全国唯一の御神徳らしい。
神門には「迎春ねぶた」が取り付けられていた。
テーマは疫病退散で、ヤマタノオロチ退治などの神話で知られる素戔嗚尊(スサノオノミコト)が疫病を払う姿や、災い除けの大祓守、荒波や富士山で構成されていた。
祈祷を受けた人は、本殿の奥に位置する神嶽山神苑という庭園(?)に入れるよう。
寒川神社の起源に深く関わりがあると伝えられる難波の小池を中心とした池泉回遊式の日本庭園で、茶屋や資料館も併設しているらしい。
京都5 八坂の塔・八坂庚申堂・清水寺
4泊5日の京都旅行、5日目。
八坂の塔は、霊応山法観寺の高さ46メートルの本瓦葺五重塔(重要文化財)。
法観寺は聖徳太子によって建立されたとも伝えられ、木曽義仲の首塚もある。
現在の塔は1440年(永享12年)に室町幕府六代将軍・足利義教により再建されたもの。
八坂庚申堂は、正式名が金剛寺庚申堂で、大阪四天王寺、東京浅草寺とともに日本三庚申の一つ。
様々な色の「くくり猿」で有名。
「くくり猿」は、欲望のまま行動する猿の手足を縛ることで、欲に走らないようにと自分の心を戒めるために作られたお守り。
778年(宝亀9年)に賢心(延鎮)上人が開山、798年(延暦17年)に坂上田村麻呂が創建したと伝えられ、音羽の瀧の清らかさにちなんで清水寺と名付けられたらしい。
現在の主な堂塔は1633年(寛永10年)に徳川家光により再建され、清水の舞台で知られる本堂は国宝。
1994年にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録。
三年坂、二年坂と下る。
ともに清水参拝道として作られたもので、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
三年坂は清水寺の子安塔の安産信仰からで産寧坂とも書き、埋葬地である鳥辺野へ通じる道でもあるため石段で転ぶと3年で死ぬとも言われる。
朝食は前田珈琲高台寺店でクロワッサンサンド、ドリンクは龍之助。
10時35分に清水道発のバスで約15分、10時51分に京都駅前に到着。
お土産は伊勢丹で、洛心館のどら焼き、キンダルキンダルのマカダミアナッツ、あめんぼ堂のかりんとう、Usu-kihadaの京墓恵夢、阿闍梨餅を買う。
改札前で、別格クロワッサン-あんとバターも購入。
12時13分に京都駅発ののぞみ224号で約2時間、14時06分に新横浜駅に到着。
12月03日~12月07日 京都旅行
京都4 京都御所・永観堂・高台寺
4泊5日の京都旅行、4日目。
昨日に続いて今日も朝食はホテル。
鴨汁御膳、本日の焼き魚御膳、京風カレーうどん御膳など、6種類から選べたが、昨日と同じ炙り鯛茶漬け御膳を食べる。
10時00分に京都駅前発のバスで約15分、10時13分に清水道で降りて、ホテルに荷物を預ける。
10時38分に祇園四条駅発の電車で約10分、10時50分に神宮丸太町駅に到着。
最初は、京都御所。
1331年(元弘元年)に光厳天皇が即位してから、1869年(明治2年)に明治天皇が東京に移るまでの約550年間の天皇の居所。
古来の内裏の形態が保存されていて、現在のものは1855年(安政2年)造営。紫宸殿、清涼殿、小御所、御学問所、御常御殿など平安時代以降の建築様式の移りかわりを見ることができる。
京都御所は手荷物検査があるが、無料で入れる。
清涼殿は工事中だった。
スタッフの方が「この木は一円玉のデザインのもとになった」と言っていたが、調べてみると定かではなく、Wikipediaによると「モデル樹種は特にない」らしい。
歩いて、陰陽師・安倍晴明を祀る晴明神社へ。
安倍晴明は平安時代の天文学者で、朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条の6代の天皇に仕え、陰陽道を確立した。1007年に一条天皇の命により晴明の屋敷跡に創建。
鳥居や井戸に晴明桔梗という五芒星が見られるが、これは晴明が創った陰陽道に用いる祈祷呪符の一つらしい。
その星形の井戸は晴明が念力により湧出させた井戸で、晴明井と呼ばれる。
病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲むことができる。水の湧き出るところはその年の恵方を向いているが、恵方は毎年変わるため立春の日にその向きが変えられるよう。
続いて、西陣織会館。
西陣織資料室の所蔵品展は「近代西陣 昭和の繁栄」(10月1日~12月20日)、きものショーはコロナのため休演中だった。
西陣織会館は京都の伝統産業である西陣織の総合展示館で、西陣織の紹介や史料の常時展示、きものショーの他、制作実演や制作体験、きものの着付や和装の教室なども行われている。
西陣織とは「多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染の紋織物」の総称で、昭和51年に国の伝統的工芸品に指定された。
西陣の名前は応仁の乱で山名宗全率いる西軍の陣地が置かれたことに由来し、付近には山名宗全邸宅跡がある。
12時36分に堀川今出川発のバスで約15分、12時54分に銀閣寺道に到着。
銀閣寺(慈照寺)から歩き始める。
1482(文明14)年に建立された東山文化を代表する建築(庭園)で、正式名称は東山慈照寺。
室町幕府八代将軍の足利義政が造営した山荘東山殿が起源で、義政の法号慈照院から慈照寺と名付けられた。銀閣寺の名は江戸時代に金閣寺と対比して呼ばれるようになったよう。
庭園にある銀沙灘と向月台の砂盛りは江戸時代初期から作られたと言われる。
1994年に「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録された。
哲学の道を歩く。
銀閣寺と熊野若王子神社の間を結ぶ、約2kmの散歩道。
桜の名所としても有名で、日本の道100選にも選ばれている。
20世紀初期の哲学者で京都大学教授の西田幾太郎が、毎朝この道を歩いて思想に耽っていたことにちなんで名付けられた。脇を流れる運河は琵琶湖から引かれた水路。
法然院に立ち寄る。
法然が弟子とともに六時礼讃を勤めた旧跡で、1680年に再興された。
山門を入ると、両側に白砂壇という白い盛り砂がある。水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味しているよう。
墓地には谷崎潤一郎や河上肇の墓があるらしい。
続いて、大豊神社にも寄る。
887年に宇多天皇の御悩平癒祈願のために創建された。
境内には狛犬ではなく、ネズミ、サル、トビ、ヘビなどが鎮座しているが、特に狛巳(狛ねずみ)が有名なようで確かに可愛らしかった。
哲学の道を終えて、永観堂(禅林寺)。
853年(仁寿3)空海の弟子により創建。
本堂の阿弥陀如来像は顔をななめ後ろに向けていて、「みかえり阿弥陀」と呼ばれている。
昔から「秋は紅葉の永観堂」と言われているようで、紅葉が綺麗だった。
秋の寺宝展の期間中(11月07日~12月06日)で、夜のライトアップも行われるよう。
次は、南禅寺へ。
1291年、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。
室町時代は「五山之上」に列せられ、京都五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)と鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の上におかれる別格扱いの寺院。
南禅寺の方丈庭園は、小堀遠州作と伝えられる枯山水庭園で、「虎の子渡しの庭」と呼ばれる。
三門は歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名らしく、調べてみると、三門からの満開の桜の景色を見て「絶景かな、絶景かな」と言ったよう。
水路閣は、1888年(明治21年)に完成した、レンガ、花崗岩造り、アーチ型橋脚の水路橋。
写真を撮っている人がたくさんいた。
南禅寺から歩いて、平安神宮に行く。
平安神宮は、1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して、平安遷都を行った第50代桓武天皇をご祭神として創建され、その後皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京有終の天皇である第121代孝明天皇が合わせて祀られた。
神苑という東・中・西・南の四つの庭からなる池泉回遊式庭園があるのだが、時間が遅かったため閉まっていた。
16時39分に岡崎公園発のバスで約10分、16時50分に清水道に到着。
建仁寺に向かう。
JR東海ツアーズのプランに付いていた「ずらし旅 選べる体験ご利用券」を使って、時間外特別拝観(17:30~19:00)をする。予想以上に混んでいたので、来ている人はJR東海ツアーズの「ずらし旅」プランの人だけではないのかもしれない。
建仁寺は、1202年に栄西が建立した京都最初の禅寺で、京都五山の第三位。
俵屋宗達の風神雷神図(国宝、本物は京都国立博物館で建仁寺にあるのは複製)や、2002年に創建800年を記念して小泉淳作により法堂天井に描かれた双龍図が有名。
その他にも、「開山栄西禅師八百年大遠諱慶讃事業」として染色画家の鳥羽美花により描かれた襖絵「舟出」や「凪」が印象的だった。特に「舟出」は庭の向かいから紅葉と併せて見るのも良かった。
夜の特別拝観の2つ目は、高台寺。
10月23日~12月13日の17:00~21:30の間、秋の夜間特別拝観が行われている。
庭でプロジェクションマッピング「「飛龍」 -龍は起つ一潭の氷—」を見れた。
高台寺は1606年に豊臣秀吉の正室ねね(北政所)が秀吉の菩提を弔うために創建。
小堀遠州作庭の池泉回遊式庭園があり、高台寺蒔絵が有名。
「アンドロイド観音マインダー 般若心経を語る」というポスターがあり、文字の通りだが、アンドロイドが般若心経を語るらしい。
更に、アンドロイド観音マインダーの御朱印をPDFファイルでダウンロードすることができるよう。
制約等もあると思われるが、色々試していて素晴らしいと思う。
高台寺掌美術館では、北政所ねね没後四百年記念事業として特別展「戦国時代の女性」が行われていた。
夜間拝観に合わせて22時まで開いているのが有り難い。
最後は、圓徳院。
床に座って、お庭をゆっくり眺める。
少し寄り道をして、ライトアップされた八坂の塔を見る。
人通りも無く、暗くて、怖いくらい。
今日のホテルは、ホテルザセレスティン京都祇園。
スーペリアクイーン28.2㎡〜31.7㎡、素泊まり。
12月03日~12月07日 京都旅行
京都3 三十三間堂・東福寺・伏見稲荷大社
4泊5日の京都旅行、3日目。
朝食はホテル。
6種類から選ぶ形式で、炙り鯛茶漬け御膳を食べる。
最初は歩いて、三十三間堂(国宝)。
後白河上皇が発願し、平清盛が寄進して創建したもので、正式名は蓮華王院。
本堂の内陣の柱と柱の間数が33あることから三十三間堂と呼ばれる。
堂内は、中央の千手観音坐像(国宝)を中心に、最前列に風神・雷神象と二十八部衆像(国宝)、その後10列の階段状の壇上に1,000体の等身大の千手観音立像(国宝)が整然と並ぶ。
桃山時代に始まった(?)通し矢という弓矢の行事に由来する、正月の大的大会も有名らしい。豊臣秀吉に寄進された太閤塀もある。
国立博物館を通り過ぎる。
2020年11月25日から12月18日まで、展示環境整備等のため展示室は閉室で、庭園のみ開館しているよう。
次は、豊国神社と方広寺へ。2つは隣接している。
豊国神社の御祭神は豊臣秀吉。前関白太政大臣、正一位、豊国大明神。
豊臣秀吉は没後に東山阿弥陀ヶ峯に葬られ、その中腹に秀吉を祀る豊国社が創建されたが、大坂夏の陣において豊臣家が滅亡すると徳川家康により廃祀された。
明治時代に明治天皇の勅命によって現在の位置に再興され、現在は出世開運の神様として慕われている。絵馬は秀吉の馬印「千成瓢箪」にちなんだ瓢箪の形をしている。
方広寺は、豊臣秀吉が東大寺のように大仏を祀るために創建した。
大仏と大仏殿は失われたが、大坂冬の陣のきっかけとなった「国家安康」「君臣豊楽」の銘文で有名な梵鐘は今も残っている。
豊国神社の正面には文禄・慶長の役ゆかりの耳塚(鼻塚)がある。
豊臣秀吉の朝鮮出兵における朝鮮・明国兵の戦死者の耳や鼻を弔ったとされる塚。
10時28分に七条駅発の電車で1分、10時29分に東福寺駅に到着。
奈良の東大寺と興福寺から1文字ずつ取り名付けられた、京都五山の第四位の禅寺。
1236年から19年を費やして作られ、日本最古で最大級の伽藍を持つ。
「本坊庭園(方丈)・通天橋・開山堂 共通拝観券」を購入して、通天橋・開山堂へ。
通天橋は方丈と開山堂を結んで架かる橋で、ここから眺める洗玉澗(渓谷)は紅葉の名所。
本坊庭園は、鎌倉時代庭園の質実剛健な風格を基調に現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代禅宗庭園。
東西南北に四つの庭があり、八相成道に因んで八相の庭と言われた。
通天橋と並ぶ東福寺三名橋の一つ偃月橋を渡り、即宗院 月輪殿庭園へ。
即宗院は島津氏久が建立し、幕末には西郷隆盛が僧月照と倒幕計画を話し合った。
西郷隆盛が鳥羽伏見の戦いの戦死者を弔うために建立した東征戦亡の碑もある。
第56回京都非公開文化財特別公開として、9月1日から12月13日までの間、法堂と三門(国宝)が公開されている。
三門は足利義持が再建した室町建築で、禅宗様(唐様)、和様、大仏様(天竺様)の建築様式を取り入れており、禅宗寺院としては最古最大最優のものらしい。
上層の中に入ることができ、釈迦如来と十六羅漢があった。昨日見た東寺(教王護国寺)の五重塔といい、見えないところにも仏像はあるようだ。
東福寺を出て、芬陀院。
雪舟作と伝えられる鶴亀の庭があることから雪舟寺とも呼ばれる。
13時52分に東福寺駅発の電車で約2分、13時54分に稲荷駅に到着。
伏見稲荷大社は、全国に30,000社あると言われる稲荷神社(お稲荷さん)の総本宮。
711年に御祭神の稲荷大神が稲荷山に鎮座し、2011年には御鎮座1300年を迎えた。
稲荷山全体を神域とし、山の参道全体では約1万基の鳥居が並んで立っている。
稲荷大神のお使いである白狐(びゃっこさん)の像もよく見られる。
伏見稲荷大社は日本三大稲荷神社の一つでもあるが、伏見稲荷のホームページによると、ほかの2社については各々の地域でそれぞれの言い方があって特定できないらしい。
Wikipediaによると、伏見稲荷大社、豊川稲荷(愛知県)、笠間稲荷神社(茨城県)、祐徳稲荷神社(佐賀県)の4社寺が挙げられることが多いよう。
14時49分に稲荷駅発の電車で約5分、14時54分に京都駅に到着。
京都生 そばもり平というお店で、冷穴子そばを食べる。
穴子を丸ごと1本使った天ぷら入りで美味しかった。
ホテルに戻り、13時から17時までラウンジでデザートが貰えるようだったので、きなこチーズケーキを戴く。飲み物はドリンクバー。
穴子そばを食べたのが遅かったため、夕食は伊勢丹で進々堂のパンと和涼菓堂のアイス(栗と抹茶)を買う。
和涼菓堂とはあずきバーの井村屋が手がける高級和アイス専門店で、アップグレードさせたあずきバーをベースに、旬のフルーツ等厳選した素材を加えた2層のアイスを、一本一本丁寧に手作りしているよう。
今日のホテルも、リッチモンドホテルプレミア京都駅前。
コーナーツイン26.9㎡~28㎡(バス・トイレ別)、朝食付き。
12月03日~12月07日 京都旅行