寛永寺・浅草


今日の目的地は、江戸時代の天台宗大本山の一つ、東叡山 寛永寺。(他は比叡山と日光山)

1625年(寛永2年)に天海によって江戸城の鬼門(東北)にあたる上野に建立された。
これは平安時代最澄が開いた比叡山延暦寺京都御所の鬼門に位置したことに倣ったもので、山号は東の比叡山という意味で東叡山、寺号も延暦寺と同様に創建時の元号を使用して寛永寺命名された。

比叡山延暦寺を江戸に再現しようと、延暦寺の前例に倣って創建され、主要伽藍も全て延暦寺に倣って造営された。
更に、不忍池辯才天(近江竹生嶋)、清水観音堂(京都五条坂清水寺)、祇園堂(京都八坂)など、比叡山のある山城(京都)と近江(滋賀)から代表的な寺院も写した。


上野駅から、日本で最初の都市公園である上野公園へ。
東京国立博物館国立科学博物館国立西洋美術館東京都美術館東京藝術大学美術館、上野の森美術館下町風俗資料館などの博物館・美術館以外にも、日本芸術院日本学士院東京文化会館、旧東京音楽学校奏楽堂などの施設、そして上野動物園に、野球場(正岡子規記念球場)がある。

上野公園は日本さくら名所100選に選定されているが、その桜は寛永寺を創建した天海が吉野山から移植させたことに始まるらしい。
開花に向けて道が整備されていたが、まだほとんど咲いていなかった。


まずは、上野東照宮
徳川家康徳川吉宗徳川慶喜を祀っていて、社殿や唐門などは1651年に造営されたもの。
ぼたん苑では春と冬に牡丹が見られるよう。

次は、上野大仏(パゴダ)。
1631年に建立された約6メートルの大仏だったが、関東大震災により首が落ち、第二次大戦時に軍により胴体を徴用されて、顔のみが残っている。大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立されている。
胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で合格大仏とも呼ばれ、受験生が祈願するらしい。

続いて、清水観音堂、不忍池辯天堂。
水観音堂は京都の清水寺を模した舞台造りのお堂。
不忍池辯天堂は、琵琶湖の竹生島になぞらえて不忍池に築かれた中之島に、竹生島宝厳寺に見立てて建立されたお堂。当初はお堂に参詣するのに船を使用していたが、参詣者の増加に伴い江戸時代に橋が架けられたらしい。
竹生島には行ったことがあり、かわらけ投げをした記憶がある。


そして、開山堂から根本中堂へ。
開山堂は、寛永寺の開山である天海(と天海が尊崇していた慈恵大師良源)を祀るお堂。初建は1644年だが、現在のものは1993年に再建された。
根本中堂の付近には徳川慶喜が謹慎した葵の間もあるよう。

最後は、徳川歴代将軍御霊廟。
建物は第二次大戦でほとんどが焼失したが、4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定の6名が埋葬されている。
特別参拝で御霊廟と葵の間を見られるようだが、通常は常憲院殿(徳川綱吉霊廟)勅額門だけ見られる。


上野駅から銀座線で約5分、浅草駅へ。

仲見世通りの九重で揚げ饅頭を食べて、浅草寺に参拝。
隅田川公園の桜はまだだった。

夜は、隅田川沿いから見るスカイツリー、アサヒグループ本社ビルとオブジェ、吾妻橋の夜景が綺麗だった。
アサヒグループ本社ビル(アサヒビールタワー)は琥珀色のガラスと頭頂部の白い外壁で泡のあふれるビールジョッキをイメージしていて、隣接するスーパードライホール屋上の炎のオブジェは躍進するアサヒビールの心の象徴らしい。

今日のホテルは、ホテルグレイスリー浅草。
ダブルルーム18㎡(バス・トイレ別)、素泊まり。


翌日、喫茶店友路有(トゥモロー)でホットサンドハムチーズセットを食べて、梅園(1854年安政元年)創業)のあんみつを買って帰る。

 

 

以前、浅草を訪れた時の記事。