4泊5日の奈良旅行、4日目。
興福寺。
藤原氏の氏寺として710年(和銅3年)に平城京への遷都とともに創建された。
国宝館・東金堂連帯共通券を購入。
東金堂(室町時代、国宝)は、かつては琉璃塼(緑色のタイル)が敷かれ、浄瑠璃光世界が表されていたらしい。
維摩居士坐像・文殊菩薩坐像(鎌倉時代)、十二神将立像(鎌倉時代)、四天王立像(平安時代)が国宝。「弁舌第一」維摩居士と「智慧第一」文殊菩薩。
五重塔(国宝)は730年に興福寺の創建者である藤原不比等の娘の光明皇后が創建。
国宝館では、リーフレット100円を購入。
中金堂鎮壇具(奈良時代、国宝)は、水晶、金、真珠が綺麗だった。
弥勒菩薩半跏像(厨子入り、鎌倉時代)の仏像の上には飛天、下には犬(?)がいた。
天燈鬼・龍燈鬼立像(鎌倉時代、国宝)は、四天王などに踏まれている邪気が立ち上がり、守護神となったかのよう。特に、龍燈鬼は可愛い。
銅造燈籠(平安時代、国宝)、銅造燈籠火袋羽目(平安時代、国宝)は、文の構想は空海、書は橘逸勢。
板彫十二神将立像(平安時代、国宝)は、東金堂の本尊の台座にはめられていたと考えられている。ポーズや表情が豊か。
銅造仏頭(白鳳時代、国宝)
千手観音菩薩立像(鎌倉時代、国宝)は、旧食堂の本尊で520.5㎝。
その前にある、銅造華原磬(奈良時代、国宝)は儀式用の楽器。
八部衆立像(奈良時代、国宝)では、乾闥婆の獅子冠が可愛く、迦楼羅は鶏頭をもつ半獣半人で嘴を尖らせている。
1月1日(日)~1月7日(土)の間、厨子入り木造吉祥天倚像(南北朝時代)が開帳され、中金堂に入れる。
中金堂は2018年に約300年ぶりに再建。
リーフレットには年中無休とあるので、リーフレット作成時は無休だったよう。
本尊は藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈願して建立した釈迦如来像と伝わり、現在の木造釈迦如来坐像(1811年)は5代目。
四天王立像(鎌倉時代、国宝)。
木造大黒天立像(鎌倉時代)は打ち出の小槌を持たない。打ち出の小槌を持つ姿は後世に流行したものらしい。
法相柱(平成時代)には、法相宗の祖師が描かれる。
「春の日は南円堂にかがやきて 三笠の山に晴るるうす雲」という御詠歌が掲げられていた。
三重塔(国宝)、北円堂(国宝)を見る。ともに興福寺最古の建物。
猿沢池を通る。
鹿はまだ発情期だった。
氷室神社。
氷みくじは氷に貼り付けると文字が浮かび上がる。
奥村記念館は、株奥村組が創業100周年を記念して2007年に開館。
免震構造の建物で、地震&免震体験装置、奥村太平の像、展望フロアなどがある。
東大寺。
南大門(鎌倉時代、国宝)の金剛力士像(鎌倉時代、国宝)は、運慶や快慶が作り、高さは約8.4m。
大仏殿・東大寺ミュージアムのセット券を購入し、東大寺ミュージアムへ。
外に大仏さまの右手と左手のレプリカがある。
誕生釈迦仏立像(および灌仏盤)は、定番の右手を挙げたスタイル、大きめ。
金銅八角燈籠火袋羽目板(鈸子)。
東大寺金堂鎮壇具には、陽剣・陰剣という格好良い名前のものもある。
西大門勅額は、額縁に梵天・帝釈天像、四天王像、金剛力士像が付いている。
日光・月光菩薩立像は、緑色が少し残っている。
戒壇堂の耐震化工事のため、戒壇堂の四天王立像が東大寺ミュージアムで特別公開されている。
ここまでのものは、西大門勅額を除いて、全て奈良時代の国宝。
特集展示は「卯-仏像とうさぎ」と「法会と荘園-大仏殿修正会-」。
特集展示「卯ー仏像とうさぎ」「法会と荘園ー大仏殿修正会ー」 - 東大寺
「卯-仏像とうさぎ」では、十二神将立像(平安時代)の卯神や、十二天像の月天像がいた。月天像はうさぎを乗せた三日月を持っている。
うさぎと月の関係は、京都国立博物館でも特集されていた。
「法会と荘園-大仏殿修正会-」には、国宝の東大寺文書のうち、東大寺学侶連署起請や大仏殿修正会東方出仕衆請定が展示されていた。
「修正会(しゅしょうえ)」は、お正月に大仏殿で修され、その年の初めに自らの罪を懺悔し、一年間の「天下泰安」「風雨順時」「五穀成熟」「万民快楽」等を祈願する法会。
大仏殿は江戸時代の国宝。
大仏殿の前にある八角燈籠は東大寺創建当初(奈良時代)のもので国宝。
聖武天皇は743年(天平15年)に紫香楽宮で盧舎那大仏造顕の詔を出し、東大寺は聖武天皇、行基、良弁、菩提僊那の4人による四聖建立の寺とも称される。
盧舎那仏(奈良時代、国宝)は大きかった。像の高さが約15mで、台座の高さは約3m。
コロナウイルス感染拡大防止のため、柱の穴くぐりが中止。
賓頭盧尊者(江戸時代)も感染対策のため触れない。
正倉院(奈良時代、国宝)は15時までだったようで、ぎりぎり見れた。
二月堂(江戸時代、国宝)の本尊、十一面観世音菩薩は秘仏。
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、752年(天平勝宝4年)に創始されて以来、2023年(令和5年)で1272回を数える。(1272年間一度も絶えることなく続いている)
修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法要」と言い、十一面悔過とは、日常に犯している過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の前で懺悔すること。
「お水取り」という、3月12日深夜(13日の深夜1時半頃)に若狭井という井戸から観音さまにお供えする香水を汲み上げる儀式が有名。
四月堂(三昧堂)。
法華堂(三月堂、奈良時代、国宝)は、東大寺にある現存最古の建物で、奈良時代に造られた国宝の仏像9体を見れる。(全部で10体あるが、1体は秘仏のため見れず。)
本尊は不空羂索観音菩薩像で、梵天・帝釈天像、金剛力士像、四天王像があり、全て3m以上。
秘仏の執金剛神像は、12月16日のみ開扉。
外国人の集団が15人くらい入ってきて、うるさいし、写真は撮るし、嫌になり出た。
受付で集団が出たら再入場して良いか聞いたら、了承してもらった。
あの程度で心が乱されるとは修行が足りないな。
見てはいないが、戒壇院千手堂の特別公開も行われていた。
春日厨子に入った千手観音菩薩立像・四天王立像(鎌倉時代)、鑑真和上坐像(江戸時代)があったよう。
手向山八幡宮は16時ちょうどで閉まった。
15時59分には閉めようとしていたので、入れなかった。
春日大社。
768年に称徳天皇の勅命により本殿が造営され、第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめがみ)が祀られる。
20年に一度、御社殿を美しくする「式年造替」が行われ、2016年に第六十次式年造替が行われたが、60回以上になるのは伊勢神宮と春日大社のみ。
奈良時代に神様が常陸国から御蓋山(春日山)へ来たときに白鹿に乗って来たことから、春日神鹿は神様のお供であり、神の使いとして大切に扱われるようになった。
そのおかげで現在は奈良公園周辺に約1,300頭の鹿が生活する。
手水所で手を清めて、祓戸神社にお参り。
本殿ではいつもより少し前でお参りできた気がする。
地面に砂利を撒いていた、正月用に撤去?回収?していたものを戻していたのか。
御間道(おあいみち)は日本で最初に灯籠が並べられた参道で、春日大社には全国に存在する室町時代の灯籠の約7割があり、それ以前の灯籠は全国に数十基しかない。境内には石燈籠が2千基、釣燈籠が千基あり、その数は日本一。
小西美術工藝社がルイス・フロイスの「日本史」の記述通りに復元した御間型灯籠の火袋がり、黒漆に金色の細工が綺麗。
若宮神社から、奥の院道を通り、伊勢神宮遙拝所、紀伊神社と奥まで行く。
若宮神社は、2021,2022年に第43次式年造替が実施された。
若宮十五社めぐり、水谷九社めぐりというものがある。
国宝殿では「特別展 春日若宮式年造替奉祝 杉本博司―春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦」が開催中だが、16時30分に受付終了のため行けず。
特別展 春日若宮式年造替奉祝 杉本博司―春日神霊の御生(みあれ) 御蓋山そして江之浦 | 春日大社
仏教美術資料研究センター(旧奈良県物産陳列所)のライトアップが綺麗だった。
今日も鹿は可愛かった。
鳴き声を初めて聞いたが、高かった。
夕食は、牛カツ京都勝牛 近鉄奈良駅前店。
牛サーロインカツ・牛ヒレカツ京玉膳。
ブルーシール 近鉄奈良駅前店で、シカゴチョコブラウニーとバニラ&クッキーのダブル。
お土産を購入。
天極堂で、葛もち。
橿原オークホテルの、埴輪まんじゅう。
埴輪まんじゅう|橿原オークホテル、橿原神宮前のホテル・結婚式・ご宴会・埴輪まんじゅう
千代乃舎竹村の、さるさわの月。
横田福栄堂の、みそせんべい。
奈良、大和西大寺のお菓子、横田福栄堂|味噌せんべい、鹿サブレも
2023年01月02日~01月06日 奈良旅行