11泊12日の四国旅行、3日目。
朝から雨模様。
8時32分に大街道駅発の伊予鉄道で約15分、8時45分に松山駅前に到着。
瀬戸大橋線開業35周年記念 帰ってきた四国満喫きっぷ
土・日・祝日を1日以上含む連続した3日間、JR四国線、土佐くろしお鉄道線、ジェイアール四国バスの路線バス(高速バスを除く)に乗り降り自由で、10,500円(チケットアプリ「しこくスマートえきちゃん」利用時)。
瀬戸大橋線開業35周年記念 帰ってきた四国満喫きっぷ |四国旅行 JR四国ツアー(駅コミ)
9時07分に松山駅発のJR予讃線 宇和海7号で約80分、10時30分に宇和島駅に到着予定。(3,030円)
実際は約5分遅れの10時35分に宇和島駅に到着。
駅からはアーケードが続く。
宇和島袋町商店街
【公式】宇和島袋町商店街 | 伊達家十万石の城下町として栄えた、愛媛県宇和島市宇和島城の麓から数m。
高野長英の居住地跡。
蛮社の獄の後に、逃亡生活を送っていた際に住んでいた場所。伊達宗城が保護して、五岳堂と名付けた学塾で学問を教えていた。
宇和島城へ。
1601年(慶長6年)に藤堂高虎により築かれ、天守は1666年(寛文6年)頃に2代藩主伊達宗利により建て替えられた。
御殿建築の意匠が見られ、太平の世を象徴するとも評される。
宇和島城(城山)について - 宇和島市ホームページ | 四国・愛媛 伊達十万石の城下町
藩老桑折氏武家長屋門から入って、三ノ丸跡を過ぎると、道の選択。
天守までの道が、急な石段で300mか緩やかな坂道で670mか、急な石段で登る。
井戸丸、二の丸、そして本丸。
本丸石垣は元々の野良積みと幕末頃に修理された切込ハギの2つの積み方を見れる。(松山城も2つの積み方を見れた)
本丸は小さめだが、凛とした佇まい。
1階には甲冑、2階には茂本ヒデキチの墨絵、3階には屏風などがあった。
茂本ヒデキチは愛媛県松山市出身で、松山城のロープウェイの駅舎にも墨絵があった。
Hidekichi Shigemoto Official Site | NEO BLACK ~新墨の軌跡~
城山郷土館は、1845年(弘化2年)に三之丸に建てられた武器庫で、伊達宗城、児島惟謙など宇和島出身やゆかりの偉人を紹介する「うわじま伊達・偉人展」というパネルが展示されている。
穂積陳重(穂積八束の兄)は銅像建立の話が出たときに仰ぎ見られるよりは踏んで渡られる橋が良いと述べて、死後にできた橋に穂積橋と名付けられた。
長門丸跡、式部丸跡と見て、上り立ち門から出る。
この門は藤堂高虎の創建期まで遡る最古級の門。
門の前には児島惟謙像がある。
宇和島市立伊達博物館は、宇和島を治めた伊達家の古文書類や武具甲冑、婚礼調度品などを展示している。
宇和島市立伊達博物館 | ダテハク - 宇和島市ホームページ | 四国・愛媛 伊達十万石の城下町
宇和島伊達家コレクション展1「苦労兎(くろうと)秀宗―秀吉、家康、そして父政宗―」。
令和5年度 宇和島伊達家コレクション展1「苦労兎(くろうと)秀宗―秀吉、家康、そして父政宗―」
第1展示室は「幼少期の秀宗と秀吉〜不遇な中での安らぎ〜」。
狩野派による「豊臣秀吉画像」は国指定重要文化財だが、展示されていたのは森田青華の模写だった。
第2展示室は「青年期の秀宗と家康〜苦悩と葛藤の初陣〜」。
秀宗は幼少期は人質として豊臣家で過ごしたが、初陣は大阪冬の陣でその相手は豊臣秀頼だった。
旗印白に青絹地日の丸が展示されており、日の丸の旗印は伊達政宗の父輝宗の時代に伊達家の旗と定められたらしい。
第3展示室は、GW特別展「美(うま)し馬絵図、美(うま)し馬具ー源平合戦絵図と伊達家伝来馬具ー」。
令和5年度G.W.特別展「美(うま)し馬絵図、美(うま)し馬具ー源平合戦絵図と伊達家伝来馬具ー」
「がいな」は宇和島の方言で「すごい」。
建物の外には伊達宗城像があった。
天赦園は、宇和島藩7代藩主の伊達宗紀が隠居場所として建造した池泉廻遊式庭園。
伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ、様々な珍しい種類の竹が池を巡るように植栽されている。
馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し
残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん
上り藤は4月上旬が見頃なようで終わっていたが、藤棚の白や紫の藤、紫や黄色のカキツバタは咲いていた。
大僖びの鐘は松本零士の協力を得て製作され、銀河鉄道999のキャラクターが描かれている。メーテルのモデルはシーボルトの娘である楠本イネの娘タダ(高子)らしい。
そして、そのタダ(高子)は天赦園で、宇和島藩の洋学者である三瀬諸淵と結婚した。
穂積橋は高野長英の居住地跡の近くだったが、行きは全然気付かなかった。
13時59分に宇和島駅発のJR予讃線 宇和海18号で約45分、14時42分に伊予大洲駅に到着。(1,500円)
大洲神社
臥龍山荘
大洲藩3代藩主加藤泰恒が「蓬莢山が龍の臥す姿に似ている」ことからと命名したと言われる肱川流域随一の景勝地「臥龍淵」。
そこに臨む三千坪の山荘で、数寄屋造りの建物は「大洲の桂離宮」の異名を持つ。
文禄年間に藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛が初めて庭園を築き、その後に加藤泰恒が吉野の桜、龍田の楓を移植したが、明治以降は補修されることもなく自然荒廃していた。
現在の山荘は、明治時代に新谷出身の豪商で木蝋貿易に成功した河内寅次郎が明治30年頃から10数年をかけて築造した別荘。
臥龍院には、清吹の間、壱是の間、霞月の間がある。霞月の間の月を表現した丸窓は珍しかった。
不老庵には、竹網代張り天井、生きた槇の木を使った捨て柱があり、臥龍淵の眺めが素晴らしかった。
他にも知止庵という建物がある。
おおず赤煉瓦館を見て、大洲城。
鎌倉時代末期の1331年(元弘元年)に伊予国守護の宇都宮豊房が築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われ、その後は小早川隆景や藤堂高虎等によって大規模に修築がなされた。
明治時代に破却や解体がされたが、2004年(平成16年)に復元された。
戦後復元された木造天守としての四層四階は日本初で、19.15mの高さは日本一。
江戸時代から残る4棟の櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は国の重要文化財。
入口に17時以降貸切という張り紙があった。
城を貸切できるのかとスタッフの方に聞いたら、キャッスルステイという宿泊で、一応料金も聞いたら100万プラス消費税。
かつての城主加藤貞泰が大洲城本丸で過ごしていた史実を背景に、天守での就寝シーンを現代風に再現し、2020年7月23日にスタートしたらしい。
旗がジグザグと丸で格好良かった。
16時45分に伊予大洲駅発のJR予讃線 宇和海22号で約40分、17時25分に松山駅に到着予定。(1,500円)
出発、到着ともに約3分遅れていた。
17時37分に松山駅発のJR予讃線しおかぜ28号で約2時間、19時32分に丸亀駅に到着。(5,430円)
しおかぜ28号は岡山行き、このまま乗ってたら本州。
四国の北側をずっと移動、車両は新しそうで充電もできて快適。
途中飛ばした3ヶ所。
別子銅山記念館、マイントピア別子・東平(東洋のマチュピチュ)
父母ヶ浜、高屋神社
宇和島も大洲も土曜日なのに空いていて良かった。結局、雨はずっと降っていたが。
愛媛県は素晴らしかった、3日間ありがとう!
香川県、よろしく!
今日のホテルは、東横INN丸亀駅前。
シングルルーム。
【公式】東横イン丸亀駅前 | 東横INN-香川県丸亀市のビジネスホテル予約
2023年04月27日~05月08日 四国旅行