11泊12日の四国旅行、7日目。
チケット購入時の現金以外の支払いは、ことでんのICカードのIruCaかPayPayのみ。
ことでんバスは水色でイルカが描かれていて、このカードもイルカ、なぜ。
Suicaは使えないと言われたが、調べたら使えそうでもあり、どうなのだろう。
弘法大師空海生誕1250年記念特別展「空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」が開催中で、空海をテーマに国宝10件、重要文化財15件、地方指定文化財7件を含む全60件の作品が、香川で一挙公開される。
空海が1250年前に讃岐国で生まれたことから、この展覧会は生誕の地である香川でのみ開催される。
史上最強という表現は面白い。
第1章 空海のぬくもり
国宝 三十帖冊子 第一・十一・十四・二十六帖(平安時代 9世紀)は、新訳経典などを書写した冊子。
国宝 諸尊仏龕(唐時代 8世紀)は、空海が常にかたわらに置いていたことから枕本尊とも呼ばれる。
お経の一文字ごとに仏坐像一躯ずつ描き、経文の一文字一文字が仏であることを表している。仏が可愛らしい。
国宝 真言七祖像のうち龍智像(平安時代 弘仁2年(821年))
第2章 大師への思慕 -語り継がれるストーリーとその姿
空海は死後86年後の921年に醍醐天皇から弘法大師の諡号を与えられる。
国宝 弘法大師伝(鎌倉時代 正和4年(1315年))は、後宇多天皇が書写した空海の伝記。
国宝 日本書紀 巻第十残巻(平安時代 9世紀)は、国内最古級の日本書紀(写本)の裏に空海の性霊集が書写されている。
国宝 善女龍王像(平安時代 久安元年(1145年))は、作者(定智)がわかる平安時代の仏画として唯一のもの。龍のしっぽが少し見える。
善女龍王像(南北朝時代 14世紀)は龍の仏像のようで格好良いけど、女なのか。
高野大師行状図絵(鎌倉時代 1319年(元応元年))
空海の姿を描いた画像は、顔をやや右(向かって左)に向け、右手に五鈷杵、左手に数珠を持ち、足元には水瓶と靴が置かれ、座っているものが多い。真如親王様というらしい。
十一面観音立像(平安時代 10世紀)は、空海が作ったと伝わる。
第3章 讃岐の密教美術
「めぐる!おす!しる!香川の国宝」
香川県には美術工芸品の国宝が4件あるが、上記の特別展で善通寺が所蔵する国宝2件が出品され、それにあわせて当館収蔵の国宝2件も公開される。
つまり、香川にある国宝(美術工芸品)4件全てに出会える。
一字一仏法華経序品(善通寺蔵):実物展示期間4月22日~5月7日
金銅錫杖頭(善通寺蔵):実物展示期間5月9日~5月21日
藤原佐理筆詩懐紙(当館蔵):実物展示期間4月15日~5月7日
(実物展示期間以外はレプリカ(複製)が展示されるため、実物を見るためには特別展に前期と後期の2回行く必要がある。)
昼食はカフェポットミュゼ。
春限定のルンルンぷれーと。えだ豆のバラ寿司、鰆の甘酢あんかけ、春キャベツの中華あえなど。
聾瞽指帰、三十帖冊子、金銅錫杖頭、密教法具、弘法大師請来目録、灌頂歴名、弘法大師筆尺牘三通、善女竜王像など国宝の複製が8点。
聾瞽指帰は、空海24歳の時の著作で、儒教、道教、仏教の三教について、仏教が最も優れていることを述べている。
弘法大師請来目録は、空海が唐から持ち帰って朝廷に献上したものの目録。
灌頂歴名は、空海が高雄山寺(神護寺)で灌頂を授けた日時や名前を記したもの。
弘法大師筆尺牘三通は、空海が最澄にあてた手紙三通を一巻にまとめたもの。
展示室1には、国宝の藤原佐理筆詩懐紙。
藤原佐理26歳の時のもので青年期の書風を伝える書、現存最古の詩懐紙。小野道風、藤原行成とともにの三蹟の一人。
飛龍丸の御座之間の再現展示もあった。
展示室2は「DREAM LAND―猪熊弦一郎と川島猛」。
展示室4,5は「平山郁夫―祈りの讃岐路をゆく―」。黎明讃岐路四国霊場八十八番大窪寺など。
3階歴史展示室は、「かがわ今昔~香川の歴史と文化~」。
香川用水展示コーナーもあった。香川県の水道水の半分を担っている。
1階の図書コーナーにはイサム・ノグチの「アーケイック」もあった。
特別展で国宝8件、2階の展示室で2件、国宝10件も見ることができるとは思わなかった。
素晴らしい機会に感謝!
高松城は1588年 (天正16年)に生駒親正が築城を開始し、北に瀬戸内海があり、残りの三方のお堀に海水を引き込んだ城は日本三大水城の一つに数えられる。
玉藻の名前は万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによる。
万葉集 巻二
玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ尊き
天地 日月と共に 足り行かむ
(讃岐の国は国柄のせいか見飽きることがなく、神の御心によってか、かくも貴い。天地と月日とともに足りそな具わってゆくであろう。)
玉藻公園、まずは旭橋を渡り、旭門を通って、旧東之丸艮櫓を見る。
桜御門の二階展示室が公開されていた。1945年の高松空襲で焼失していたが、2022年7月に77年ぶりに蘇った。
披雲閣(旧松平家高松別邸)では、「香川の古木・巨樹写真展」。庭園も見る。
鞘橋から天守閣跡の展望デッキへ。
高松市は松盆栽における国内最大の生産地で全国シェアは約8割、全国の黒松と五葉松の大半、錦松の大部分が高松で生産される。
瀬戸内に位置して雨が少なく、花崗岩系の土壌が主体で松の育成に適していること、素材が身近に入手できることなどが理由。
水任流(高松御当所流)という高松藩松平家の泳法があり、藩祖の松平賴重が「讃岐の国は海辺の国なれば水練は武道の一斑たるべし」と藩士に水練の指導をさせたことに始まる。毎年6月第1日曜日には松平賴重を偲んで、内濠で英公様追悼遊泳会を行っている。(英公は松平賴重の諡)
月見櫓(着見櫓)と水手御門は毎週日曜日に公開されていたが、2022年(令和4年)10月2日から2023年(令和5年)8月上旬まで工事のため公開中止。
5月3,4日は玉藻公園で高松春のまつりフラワーフェスティバル2023が開催されている。
入場料が無料になり、ステージでライブやお仕事体験が行われ、キッチンカーも来ていて、G7香川・高松都市大臣会合のクリアファイルを貰えた。
高松春のまつりフラワーフェスティバル2023を開催します。|高松市
5月3,4日はフラワーフェスティバルで無料だが、5月5日も一般開放記念で無料開放される。1955年(昭和30年)5月5日に一般開放が始まり、今年の5月5日で68年周年。
高松兵庫町商店街、丸亀町商店街、高松南新町商店街と歩く。
夕食は、さか枝うどん南新町店で冷ぶっかけの小。
更に、田町商店街を歩いて、栗林公園へ。
栗林公園は、江戸時代初期の回遊式大名庭園で四国で唯一の特別名勝、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの三つ星にも選ばれた。
1631年頃(寛永中期)に生駒家が庭園の基礎を築き、1642年(寛永19年)から高松藩を治めた松平頼重以降は松平家が5代100年余りをかけて拡大、修築を行い、5代藩主・松平頼恭の時代の1745年(延亨2年)に完成。1875年(明治8年)に公園になり、一般公開された。
紫雲山を借景とし、6つの池と13の築山が巧みに配された庭園は、歩みを進めるごとに見られる多彩な造形美で「一歩一景」と称えられる。
栗林の名前は1640年頃には使われていたが、庭園は造られた当初から松で構成されていたため、かつては栗の木が群生していたという説や、種類に限らず木が生い茂った里山のことを中国では「栗林」と呼ぶという説など、名前の由来には諸説あるよう。
開園時間は「ほぼ日の出から日没まで」で、5月は5時30分~18時30分。
チケットを貼れば、大名庭園めぐり帳完成!
南庭回遊コース(所要時間:約60分)を行く。
商工奨励館、ヒマラヤ杉、鶴亀松(百石松)、箱松(枝凄い)、日暮亭、会僊巌、赤壁、桶樋滝、鳳尾塢、掬月亭、ツガ、楓岸、吹上亭、飛来峰(南庭の眺め)、杜鵑嶼にあるハート形の恋ツツジ、飛猿巖、渚山、古理兵衛九重塔(紀太理兵衛重利が焼いた九重塔)、根上り五葉松、芙蓉峰と南庭を回った。
東門に戻り、北庭回遊コース(所要時間:約40分)を逆走。
鴨場、花しょうぶ園、瞰鴨閣、松平頼寿閣下像、栗林公園碑(上部の篆額は三条実美の書)と見る。
時間的に終わっていたが、第53回讃岐のやきもの展が行われていた。
最後に、高松シンボルタワー29F展望スペース。
【香川県コンベンション施設】サンポート高松 高松シンボルタワー
高松市歴史資料博物館は行かず。
高松平家物語歴史館は2019年3月24日(日)に閉館したらしい。
今日のホテルは、JRホテルクレメント高松。
スタンダードシングル17㎡。
2023年04月27日~05月08日 四国旅行