4泊5日の山口旅行、1日目。
7時50分に羽田空港発のJAL291で約105分、9時35分に山口宇部空港に到着。
85番ゲートからバスで随分奥地に行って搭乗した。
9時50分に山口宇部空港発の宇部市交通局のバスで約30分、10時20分に新山口駅に到着。
新山口駅はお洒落。
種田山頭火の歌が壁に書かれていた。
山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし
11時00分に新山口駅発のスーパーはぎ号で約1時間、12時00分に萩・明倫センターに到着。
萩・明倫学舎
藩校明倫館の跡地に建築され、国の登録有形文化財に登録された本館を含む旧明倫小学校の日本最大級の木造校舎群を改修整備し、平成29年3月4日に新たな観光施設としてオープンした。
旧萩藩校明倫館展示室、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」を紹介する「世界遺産ビジターセンター」、「幕末ミュージアム」、「ジオパークビジターセンター」、復元教室、復元校長室などがある。
松陰先生の志士判定おみくじは、桂小五郎だった。
1階に降りて気付いたが、おがわ是苦集(小川コレクション)凄い。
旧萩藩校明倫館
萩藩校明倫館は、1719年(享保4年)に5代藩主の毛利吉元が萩城三の丸(堀内)に開いた藩校で、剣槍術場である有備館、水泳や水中騎馬の練習が行われた水練池、観徳門などが残っている。
鎌倉時代頃に大内氏の祈願寺として今の山口市に創建され、1604年(慶長9年)に毛利輝元が萩城を築城すると萩城下に移転され、毛利氏の祈願寺となった。
寺であるのに、石鳥居や十二支の彫刻が施された金毘羅社社殿があり、神仏習合の形態が今でも見られる。
1851年(嘉永4年)頃から約1年半の間、住職の恵運が従姉弟の林琴子の長男である11歳の利助(伊藤博文)をあずかり、雑用をさせるかたわら読書や習字を教えた。また、幼年期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだといわれる1820年(文政3年)に寄進された木馬(神馬)も残っている。
石灯籠は1858年(安政5年)に萩の石工である五島吉平恒徳と山中武祐利豊が製作したもので、免震構造がある。
鳥居も特殊。名探偵コナンの519話の舞台になった。
お寺の方の話が楽しく、次のようなことを聞けた。
金毘羅大権現大鏡は、戦時中に供出したものが横流しされたようで、オークションに出ていたところを5,000万で買い戻した。
二階建ての建築や洗濯物を干すことが駄目など、景観に関する条例が厳しい。
電柱は木製で自分の敷地内に隠し、敷地提供で年間数千円もらえるが、移すときには数十万かかる。
この地区の小学生はお寺の人のときは3,600人いたが、今は2人。
江戸屋横町には、木戸孝允旧宅(生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家)、青木周弼旧宅、円政寺などが並ぶ。
木戸孝允旧宅、青木周弼旧宅、旧久保田家住宅、口羽家住宅、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋、旧湯川家屋敷、桂太郎旧宅、伊藤博文別邸、旧田中別邸の9施設(1施設100円)の共通券が310円。
萩市文化財施設1日券を販売しています 【9施設共通】|萩市観光協会公式サイト|山口県萩市
旧宅は、来る人の身分に合わせて天井の高さが違う。土蔵の床下からは銀が発見されたが、名前が書かれてたから青木家のものになった。庭には薬草を植えていたらしい。
青木家のスタッフの方も、円政寺同様、話が面白い。
旧久保田家住宅
久保田家は呉服商・酒造業を営んでいた。
2階建てが駄目なはずなのに、この建物にはあり、隠し階段がある。灯籠の下部分が石ではなくて木の化石なのは驚いた。
五月人形展が開催中。
菊屋家住宅
室町期の守護大名大内氏の統治時代には武士だったが、大内氏滅亡後の1604年(慶長9年)に初代となる菊屋友味が毛利輝元に従って萩に入り、萩城築城の際には有力町人として支えた。毛利藩の御用商人として藩を支えた豪商で、屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担った。
江戸初期の建築である主屋、土蔵造りの本蔵と金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財で、国内に現存する最古の大型町屋建築のひとつ。
新緑と紅葉の時期には普段は⾮公開の新庭が公開される。約500坪の面積の枯山水様式の回遊式庭園で、2023年春の公開は4月16日(日)~6月末。
菊屋横丁
御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、御成道から入る3本の横町にはそれぞれの名が残されている。
菊屋横町には、菊屋家をはじめ、高杉晋作の誕生地、第26代総理大臣・田中義一の誕生地がある。
なまこ壁の美しいこの横町は「日本の道百選」に選ばれている。
高杉晋作誕生地
南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがある。
近くの晋作広場には、高杉晋作立志像が建立されている。
田中義一像を見て、北の総門。
2004年(平成16年)11月に萩開府400年を記念して復元され、高さ7メートルで、日本最大級の高麗門。
萩博物館は、時間を考えて飛ばした。
萩開府400年の記念日である2004年(平成16年)11月11日に開館した。敷地が旧萩城三の丸にあたる堀内伝統的建造物群保存地区内にあるため、建物の配置や外観はかつてこの地区内にあった規模の大きい武家屋敷の特徴にならっている。
長州ファイブ英国渡航160年記念企画展「古写真で見る幕末明治=海外渡航者編=」や「特別公開 長州萩藩士が伝えた 徳川家康の小袖」などが行われている。
春期企画展「古写真で見る幕末明治 =海外渡航者編=」 2023年3月18日(土)~2023年6月18日(日)|萩博物館(山口県萩市)
特別公開 長州萩藩士が伝えた「徳川家康の小袖」 2023年4月29日(土・祝)~2023年6月18日(日)|萩博物館(山口県萩市)
菊ヶ浜
北長門海岸国定公園内にあり、快水浴場百選、日本の夕陽百選に選ばれている。
萩城跡指月公園
萩城は1604年(慶長9年)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、指月城とも呼ばれた。1874年(明治7年)に建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が残るだけで、旧本丸跡には歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建された。
2015年には、城下町と一緒に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産に登録された。
天守跡、花江茶亭、志都岐山神社を見る。
志都岐山神社
毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の五柱を祭神として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られている。
麓にあるミドリヨシノという桜は日本では萩でしか見ることができず、県の天然記念物に指定されている。
毛利輝元像の後に、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
厚狭毛利家は毛利元就の5男元秋を祖とし、毛利氏の萩移封後、厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられた。
1856年(安政3年)に建てられた長屋は、萩に現存する武家屋敷の中でも最大規模で国の重要文化財に指定されている。
口羽家住宅
永代家老に次ぐ家柄の萩藩寄組士である口羽家の住宅で、18世紀末~19世紀初め頃に建てられたと思われる主屋と表門が国の重要文化財に指定されている。
口羽家は毛利の庶流で現在も家系が続いており、付近に住んでいる。
表門は幅があり、門番の部屋がある。家からは川が見えて長閑。袖搦(そでがらみ)という武器もあった。
堀内鍵曲
鍵曲(かいまがり)は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋で、戦いの際に見通しを悪くして防御しやすくしたもの。堀内地区の他、追廻し筋、平安古地区・大児玉横丁にある。
春日神社に参拝。
17時11分に萩・明倫センター発の萩循環まぁーるバスで約20分、17時34分に萩反射炉に到着。
萩反射炉
1856年(安政3年)に建設された反射炉の試作で、現在残っている遺構は煙突にあたる部分。反射炉の遺構は他に韮山(静岡県)と旧集成館(鹿児島県)にあるのみ。
恵美須ヶ鼻造船所跡は時間の都合で行けず。
1856年(安政3年)に恵美須ヶ鼻に造船所を建設し、同年に丙辰丸が進水、1860年(万延元年)に2隻目の庚申丸が進水。
丙辰丸ではロシア、庚申丸ではオランダと2つの異なる国の技術による造船を1つの造船所で行った例は他にないこと、幕末に建設された帆船の造船所で唯一遺構が確認できる造船所であることが評価され、世界遺産の構成資産となっている。
現在も当時の規模のままの石造堤防が残る。
1907年 (明治40年)に創建された吉田松陰を祭神とする神社で、御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められている。現在の社殿は1955年 (昭和30年)に完成したもの。
境内には松下村塾、吉田松陰幽囚ノ旧宅、吉田松陰歴史館がある。
2018年(平成30年)に明治維新150年を記念して、境内北参道を「学びの道」と名付け、吉田松陰の語録の碑群を設置した。
吉田松陰歴史館
吉田松陰の生涯を、20シーン70余体の等身大の蝋人形で再現している。
5月8日~10月30日は、改修工事に伴い休館。
5/8~10/30 吉田松陰歴史館改修工事に伴う休館について(5/5追記)|お知らせ|【公式】松陰神社|山口県萩市鎮座 明治維新胎動之地
松下村塾跡
1842年 (天保13年)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、1857年 (安政4年)に28歳の吉田松陰がこれを継ぎ、幕末には高杉晋作、伊藤博文、山県有朋などを輩出した。
「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。」と、村名を冠した塾名を付けた。
幕末当時に建てられた建物が現存しており、当時と同じ位置にある。世界遺産。
吉田松陰幽囚ノ旧宅
松陰の実家である杉家の旧宅で、幽囚室は東側にある3畳半の一室。
松下村塾跡も吉田松陰幽囚ノ旧宅も時間外で閉まっていたため外観を見て、松陰神社と松門神社にお参り。
学びの道の碑には株式会社ショウインと記載されていたが、松陰神社とどんな関係なのか。
吉田稔麿誕生地を通って、伊藤博文旧宅、伊藤博文別邸も時間外で閉まっていたので外観のみ。
旧宅は伊藤博文が14歳から13年間、両親と住んだ建物。近くには萩焼で作られたほぼ等身大の伊藤博文の陶像が建っている。
別邸は伊藤博文が1907年(明治40年)に東京府下荏原郡大井村(現:東京都品川区)に建てたもので、玄関、大広間、離れ座敷の3棟を伊藤博文旧宅側に移築した。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産」(萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾)
【世界遺産登録決定】明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
幕末に英国へ渡った長州出身の5人を長州ファイブという。
萩にゃん。は萩市観光課課長代理。毛利家家紋の肉球バージョン入り陣笠が可愛い。
萩市のキャラクター|忠義の猫 萩にゃん。 萩市観光協会「ぶらり萩あるき」
旧湯川家屋敷、桂太郎旧宅、旧田中別邸の3つと、久坂玄瑞誕生地、更に下記のものは行けなかった。
吉田松陰が1830年 (天保元年)に誕生した場所で、そばには吉田松陰・金子重輔の銅像がある。
吉田松陰の墓は松陰誕生地に隣接しており、この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作などの墓が立ち並ぶ。
東光寺
1691年 (元禄4年)に3代藩主毛利吉就が創建した黄檗宗の寺院で、大照院とならぶ毛利家の菩提寺。総門、三門、鐘楼、大雄宝殿が国の重要文化財に指定されている。
毛利家墓所は国指定の史跡で、吉就から11代までの奇数代の藩主とその夫人及び一族等の墓がある。
18時40分に東萩駅前発の中国JRバスで約85分、20時03分に県庁前に到着。
20時05分に県庁前発の中国JRバスで約10分、20時16分に下湯田に到着。
今日のホテルは、お宿Onn湯田温泉。
ツインAルーム18㎡。
宿泊者は無料で隣接の温泉施設「かめ福オンプレイス」を利用できる。
湯田温泉は1200年頃から存在していて、けがをした白狐が傷を癒していたという伝説が伝わることから白狐の湯とも呼ばれる。一番の特徴は豊富な湯量で、1日に2,000トンもの天然温泉が湧き出ている。
松田屋ホテルには、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、大村益次郎、坂本龍馬、伊藤博文などが使った浴槽も残されており、「維新の湯」と呼ばれている。
松田屋の歴史 | 湯田温泉 松田屋ホテル【公式】維新の志士ゆかりの旅館
2023年05月25日~05月29日 四国旅行