法然と極楽浄土(東京国立博物館)

特別展「法然と極楽浄土」

出品目録

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/honen2024-25/img/list_jp.pdf

 

法然法然源空)は、1175年(承安5年)、阿弥陀仏の名号を称えることによって誰もが等しく阿弥陀仏に救われ、極楽浄土に往生することを説き、浄土宗を開いた。

浄土宗開宗850年を迎える2024年(令和6年)に行われる、浄土宗の美術と歴史を鎌倉時代から江戸時代まで通覧する展覧会。

 

第1章 法然とその時代

平安時代末期の「末法」の世に生を享けた法然は、1175年(承安5年)に唐の善導の著作によって「南無阿弥陀仏」と称えれば救われるという専修念仏の考えを知る。

 

往生要集、平安時代・承安元年(1171年)、京都・青蓮院、重要文化財

往生要集は10世紀の僧・源信(恵心僧都)の著作で浄土宗の教えの原点ともいえるもの。承安元年(1171年)に写された最古の完存本。

 

往生要集 巻第五、室町時代・15世紀

 

日本往生極楽記、平安時代・応徳3年(1086年)、重要文化財

慶滋保胤が著した日本往生極楽記の最古の写本。

 

善導大師像、鎌倉時代・13世紀、京都・百萬遍知恩寺重要文化財

 

二河白道図、鎌倉時代・13世紀、京都・光明寺重要文化財

二河白道を絵画化した現存最古もの。

 

浄土五祖絵 善導巻、南北朝時代・14世紀、神奈川・光明寺重要文化財

 

法然上人坐像、鎌倉時代・14世紀、奈良・當麻寺奥院、重要文化財

當麻寺奥の院の本尊。鎌倉時代に造られた数少ない法然の彫像。

 

法然上人坐像(隆信御影)、鎌倉時代・14世紀、京都・知恩院

藤原隆信が描いたと伝わる。

 

法然上人坐像、鎌倉時代・13世紀、京都・百萬遍知恩寺

木で裸の像を造って布製の衣を着せている。

 

七箇条制誡、鎌倉時代元久元年(1204年)、京都・二尊院重要文化財

この制誡に背く者は私(法然)の門人ではない。

弟子の署名の中には、綽空(親鸞)の名前もある。

 

選択本願念仏集(廬山寺本)、鎌倉時代・12~13世紀、京都・廬山寺、重要文化財

1198年(建久9年)に九条兼実の要請によって法然が撰述した。

題名と冒頭の21文字は法然が自ら書き、残りは弟子たちが口述筆記した。

 

迎接曼荼羅図(正本)、鎌倉時代・12~13世紀、京都・清凉寺重要文化財

熊谷直実の念持仏と伝わる。

 

法然上人絵伝、鎌倉時代・14世紀、京都・知恩院、国宝

全48巻(約600m)の法然伝。後伏見上皇の勅命でつくられたと伝わることから「勅修御伝」とも呼ばれる。

「立教開宗、吉水での説法。」、「大原での問答。」の2場面だった。

 

法然上人絵伝、室町時代・15世紀、奈良・當麻寺奥院、重要文化財

 

拾遺古徳伝絵、鎌倉時代・元亨3年(1323年)、茨城・常福寺重要文化財

浄土真宗の視点から描かれた法然上人絵伝。

 

法然上人絵伝、鎌倉時代・14世紀、三重・西導寺、重要文化財

掛軸形式の法然上人絵伝のうち現存最古級。

 

 

第2章 阿弥陀仏の世界

法然は専修念仏を重んじており、貴賤による格差が生まれる造寺造仏は必要ないと説いたが、それらを必要とする門弟や帰依者が用いることは容認していた。

 

阿弥陀如来立像/像内納入品 印仏類、鎌倉時代・13~14世紀、岡山・誕生寺

誕生寺は法然が生まれた屋敷跡を寺院に改めたことに始まるとも伝わる。この阿弥陀如来は前傾姿勢。

 

阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式)、鎌倉時代・13世紀、福島・いわき市重要文化財

善光寺本尊の阿弥陀三尊像は秘仏だが、中世以降に模造が盛んに造られた。

 

菩薩面、奈良・當麻寺

當麻寺の来迎会で2004年まで使用されていた仮面。

来迎会(迎講)は、南無阿弥陀仏と念仏を称える人が死に臨んだ時に、阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩など二十五菩薩(聖衆)とともに迎えに来て極楽浄土に連れ去る様子を実演する儀式。

奈良の當麻寺、岡山の誕生寺、東京の九品仏浄真寺などで今も行われている。

 

當麻曼陀羅図(貞享本)、江戸時代・貞享3年(1686年)、奈良・當麻寺重要文化財

極楽浄土を描いたもの。當麻寺に伝わる綴織當麻曼陀羅(国宝)の原寸大の模写。

 

当麻曼荼羅縁起絵巻、鎌倉時代・13世紀、神奈川・光明寺、国宝

綴織當麻曼陀羅の誕生を描いた絵巻。

 

刺繡阿弥陀名号、鎌倉~南北朝時代・14世紀、福島・阿弥陀寺重要文化財

 

紫檀螺鈿厨子(来迎阿弥陀三尊立像納入)、厨子鎌倉時代・13世紀、奈良・千體寺、重要文化財

来迎相の阿弥陀三尊立像を納めた厨子。仏後壁と両側面には阿弥陀小像(千体仏)。

 

山越阿弥陀図屏風、鎌倉時代・13世紀、京都・永観堂禅林寺重要文化財

阿弥陀の手から糸が出ている。人が臨終するときに、来迎図や仏像に結んだ五色の糸を手に取り、浄土へ往生するという思いを高める助けとした。

 

五色糸および由来書、室町時代、京都・金戒光明寺

 

地獄極楽図屛風、鎌倉時代・13~14世紀、京都・金戒光明寺重要文化財

 

阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎)、鎌倉時代・14世紀、京都・知恩院、国宝

阿弥陀来迎図とは、人が臨終を迎えるときに阿弥陀如来が菩薩たちを率いて迎えに来る様子を表した図。右下には注文者と思われる人の姿もある。

2019年から2022年にかけて「紡ぐプロジェクト」助成修理事業として解体修理が実施された。

 

 

第3章 法然の弟子たちと法脈

源空証空自筆消息、鎌倉時代・13世紀、京都・清凉寺重要文化財

源空と証空が熊谷直実に宛てた手紙。

 

聖光上人坐像、鎌倉時代・13世紀、福岡・善導寺久留米市)、重要文化財

聖光は選択本願念仏集の写しを許された数少ない弟子の一人。浄土宗第2祖、鎮西派の祖。

 

末代念仏授手印(生極楽本)、鎌倉時代・安貞2年(1228年)、福岡・善導寺久留米市

聖光が法然の念仏往生の教えをまとめた書。

 

 

第4章 江戸時代の浄土宗

徳川家康坐像、江戸時代・17世紀、京都・知恩院重要文化財

徳川秀忠坐像と共に知恩院御影堂に安置されていて、「帝都鎮護の御影」と呼ばれた。徳川家康増上寺を江戸の菩提所、知恩院を京都の菩提所と定めた。

家康のイメージと違い、力強い印象。

 

日課念仏、江戸時代・17世紀、東京国立博物館

徳川家康が晩年に南無阿弥陀仏と書いたと伝わるもの。たくさんの南無阿弥陀仏という文字の中に、「南無阿弥家康」という文字も書かれている。

 

八天像(帝釈天像、持国天像、金剛力士像、密迹力士像)、江戸時代・元和7年(1621年)、京都・知恩院

知恩院の経蔵内にある八角輪蔵の下層部に配される八天像のうちの4躯。

 

大蔵経(宋版)、中国・北宋南宋時代・12世紀、東京・増上寺重要文化財

大蔵経(元版)、中国・元時代・13世紀、東京・増上寺重要文化財

大蔵経(高麗版)、朝鮮・高麗時代・1458年、東京・増上寺重要文化財

大蔵経とは漢訳された仏典を総集したもので、収録巻数は五千巻を超える。

徳川家康は、大和国周防国近江国の寺院から、領地と引き換えにそれぞれ宋版、元版、高麗版の大蔵経を召し上げ、増上寺に寄進した。三大蔵。

浄土宗大本山増上寺所蔵三大蔵

 

袋中上人像、江戸時代・慶長16年(1611年)、京都・檀王法林寺

沖縄(琉球)に初めて浄土宗を伝えた袋中上人を、尚寧王が自ら描いたもの。袋中上人の踊念仏はエイサーのルーツと言われる。

 

黒漆司馬温公家訓螺鈿掛板、琉球第二尚氏時代1611年以前、京都・檀王法林寺

 

祐天上人坐像、江戸時代・享保4年(1719年)、東京・祐天寺

祐天は徳川綱吉等の帰依を受け、増上寺第36世を務め、目黒区にある祐天寺を開いた。この像は祐天寺の秘仏本尊。

 

当麻曼荼羅図・祐天上人象(厨子入)、江戸時代・享保7年(1722年)以降、東京・祐天寺

當麻曼荼羅が細かくて綺麗。

 

五百羅漢図、江戸時代・19世紀、東京・増上寺

授戒、六道 地獄、十二頭陀 阿蘭若、神通、禽獣、七難 震。

一幅に5人×100幅。狩野一信が10年をかけて描いたが、96幅まで手掛けて逝去し、残りは妻と弟子が完成させた。

周辺の情景や奇瑞を西洋の陰影技法を用いて描かれている。

 

仏涅槃群像、江戸時代・17世紀、香川・法然

釈迦の涅槃像と、それを取り囲む羅漢、天龍八部衆、動物たちの像で、涅槃図を立体的に表している。横臥する釈迦は体長282cmで、菩薩、羅漢、八部衆等は等身大。

法然寺の三仏堂(涅槃堂)にあるもので、82体のうち26体が展示されている。

法然寺は初代高松藩主の松平頼重法然配流の地にあった寺を移して、1668年から3年かけて造営した。

法然寺では天井から吊るした雲の上に摩耶夫人像もある。ぜひ法然寺で全て揃ったものを見てみたい。

さぬきの寝釈迦 涅槃世界へ | 仏生山来迎院法然寺(高松市)

 

仏涅槃図は釈迦の命日である2月15日に行われる涅槃会の本尊として使用されるらしい。

死ぬ時に、勢至菩薩に励まされながら、観音菩薩の手に持つ蓮台に乗って、浄土へ向かう。

 

浄土宗

総本山、知恩院、正式名称は華頂山知恩教院大谷寺

大本山増上寺、正式名称は三縁山広度院 増上寺

大本山金戒光明寺

大本山、百萬遍知恩寺

大本山清浄華院

大本山善導寺

大本山光明寺、正式名称は天照山蓮華院光明寺

大本山善光寺大本願

総本山、光明寺

総本山、永観堂禅林寺

総本山、誓願寺清少納言和泉式部が帰依した女人往生の寺。

 

特別展の入場時に、特別展のステッカーを貰えた。

 

本館 特別1室・特別2室・11室で、特別企画「令和6年 新指定 国宝・重要文化財」が開催中。

令和六年度 新指定 国宝・重要文化財 目録

https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/94035801_01.pdf

11室

重文、木造牛頭天王坐像/木造女神坐像、平安時代・12世紀、福井・八坂神社

木造女神坐像は、頭部を十一面観音とする女神像。

 

重文、木造阿弥陀如来立像/木造地蔵菩薩立像、快慶作、鎌倉時代・13世紀、三重・安楽寺

重文、銅造観音菩薩立像、飛鳥時代・7世紀、奈良・法隆寺

玉虫厨子(国宝)に安置される観音像。

 

国宝、木造准胝観音立像 (木造六観音菩薩像のうち)/木造地蔵菩薩立像、定慶作、鎌倉時代・貞応3年(1224年)、京都・大報恩寺

 

2階に上がり、特別1室

重文、羽衣天女、本多錦吉郎筆、明治時代・明治23年(1890年)、兵庫・兵庫県立美術館

西洋美術をふまえて日本の物語を描いた。

 

重文、日吉山王・祇園祭礼図、佐光茂筆、室町時代・16世紀、東京・サントリー美術館

祭礼図屏風としては現存最古。

 

重文、五百羅漢図、朝鮮・高麗時代・14世紀、京都・知恩院

5件しか現存が確認されていない東アジアの五百羅漢図の中で唯一の幅本。

 

重文、広島頼家関係資料、江戸~明治時代・17~19世紀、広島・頼山陽史跡資料館

重文、百草蒔絵薬簞笥/内容品、飯塚桃葉作、江戸時代・明和8年(1771年)、東京・根津美術館

重文、金銅雲龍文簪、第二尚氏時代・16~17世紀、沖縄・沖縄県立博物館・美術館

重文、木造如来立像(法隆寺献納)、飛鳥時代・7世紀、東京・東京国立博物館

法隆寺献納宝物の中で唯一の木彫仏。

 

特別2室             

国宝、金峯山経塚出土紺紙金字経、平安時代・10~11世紀、奈良・金峯神社

藤原道長と孫の師通が紺紙に金字書写した法華経

 

重文、北野天満宮聖廟法楽和歌、江戸時代・17~19世紀、京都・北野天満宮

重文、西福寺文書、鎌倉~明治時代・14~19世紀、福井・西福寺

重文、青方文書、鎌倉~江戸時代・13~17世紀、長崎歴史文化博物館

長崎県上五島地方に平安時代から居住した青方氏に伝来した文書。

 

重文、鍋島色絵岩牡丹文大皿、江戸時代・17~18世紀、国(文化庁

重文、多賀城関連遺跡群出土木簡、奈良~平安時代・8~11世紀、宮城・多賀城市埋蔵文化財調査センター

重文、栃木県上神主・茂原官衙遺跡出土刻書瓦、奈良時代・8世紀、栃木・とびやま歴史体験館

重文、千葉県殿塚古墳・姫塚古墳出土埴輪、古墳時代・6世紀、千葉・芝山町立芝山古墳・はにわ博物館

長髪で顎髭を持つ埴輪

 

重文、青森県三内丸山遺跡出土品、縄文時代・約6000~4000年前、青森・三内丸山遺跡センター

重文、奈良県ホケノ山古墳出土品、古墳時代・3世紀、奈良・奈良県橿原考古学研究所附属博物館

重文、宮城県多賀城跡出土品、奈良~平安時代・8~11世紀、宮城・多賀城跡調査研究所・東北歴史博物館

祭祀用の人面墨書土器があった。

 

重文、福島県天王山遺跡出土品、弥生時代・1世紀、福島・白河市歴史民俗資料館

重文、北海道西島松5遺跡出土品、擦文時代・7~9世紀、北海道・恵庭市埋蔵文化財整理室

本州で作られた刀があり、北海道中央部と本州の繋がりがわかる。

 

国宝、三重県宝塚一号墳出土埴輪、古墳時代・5世紀、三重・松阪市文化財センター

埴輪船は古墳時代の大型船を写実的に象ったもの。

 

 

本館 2室には、国宝の賢愚経残巻(大聖武)。

聖武天皇筆、奈良時代・8世紀。

東京国立博物館 - 展示・催し物 展示 本館(日本ギャラリー) 国宝 賢愚経残巻(大聖武) 作品リスト

 

13室

太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱)、平安時代・10~12世紀、国宝。

安綱は平安時代末期に伯耆国鳥取県)で活躍した名工で、名前は酒呑童子を退治した伝説に由来。

天下五剣の一つで、足利将軍家徳川将軍家越前松平家、津山松平家に伝来。

 

18室

横山大観、雲中富士

 

VR作品『洛中洛外図屛風 舟木本』もいつか見ないと。

東京国立博物館 - 展示・催し物 催し物 ミュージアムシアター VR作品『洛中洛外図屛風 舟木本』