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SOMPO美術館
1976年7月、安田火災海上(現・損保ジャパン)本社ビル42階に「東郷青児美術館」として開館。当時、安田火災と縁の深かった東郷青児の作品を常設展示する美術館として始まる。
1987年、ポスト印象派のフィンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》がコレクションに加わり、アジアで唯一ゴッホの《ひまわり》を見ることができる美術館となる。
2020年4月、「SOMPO美術館」に館名変更。7月には損保ジャパン本社敷地内に建設した新美術館棟に移転。
2026年に開館50周年を迎える。
モダンアートの街・新宿
出品リスト
https://www.sompo-museum.org/wp-content/uploads/2026/01/modern-art_list.pdf
エレベーターで5階へ。
ⅰ章 中村彝と中村屋サロン――ルーツとしての新宿
1909年(明治42年)に相馬愛蔵・黒光夫妻は新宿に中村屋の本店を構えた。中村屋には荻原守衛や中村彝などが集まり、中村屋サロンを作った。
中村屋サロン美術館
荻原守衛《灰皿》
中村彝《目白の冬》
中村彝《カルピスの包み紙のある静物》
里見勝蔵《職工》
鶴田吾郎《盲目のエロシェンコ》、撮影禁止
エロシェンコはウクライナ出身のヴァイオリニストらしい。どこかで見たと思ったら、東京国立近代美術館だった。
鈴木良三《落合の小川》
中村彝《頭蓋骨を持てる自画像》、1923年、大原美術館、撮影禁止
コラム1 文学と美術
『白樺』第一巻第八号(ロダン号)、洛陽堂、1910年11月
岸田劉生は肖像画の名手であり、大勢の友人を描いた肖像画は「岸田の首狩り」と言われた。
岸田は白樺派の影響をいち早く吸収し、ヒュウザン会(フュウザン会)を立ち上げる。
フュウザン会は東京ステーションギャラリーで見た小林徳三郎も参加していた。
『白樺』第十年十一月十二月合本号(表紙:岸田劉生)、白樺社、1919年12月
高村光太郎《自画像》、1913年、撮影禁止
小泉清《向日葵》、撮影禁止
小泉八雲の三男。隣には「芦屋のひまわり」(神戸の実業家・山本顧彌太が購入。第二次大戦の空爆で焼失。)に関するパネルもあった。
宮芳平《歌》、撮影禁止
階段で4階へ降りる。
階段も面白い。
ⅱ章 佐伯祐三とパリ/新宿――往還する芸術家
1921年(大正10年)、白樺美術館第1回展覧会にファン・ゴッホ《ひまわり》(芦屋のひまわり)が展示された。この展覧会の後、佐伯祐三は武者小路実篤宅で「ひまわり」と対面した。
佐伯祐三《壁》
佐伯祐三《下落合風景》
佐伯祐三《下落合風景(テニス)》
東郷青児《ピエロ》
峰村リツ子《本棚》
松下春雄《下落合風景》
コラム2 描かれた新宿
『画集新宿』と『新東京百景』は昭和初期に刊行された版画集。
織田一磨『画集新宿』、1930年
《第二図 新宿カフェー街》
《第四図 明治神宮表参道》
《第五図 花うり娘》
『新東京百景』
深沢索一《新宿カフェ街》
逸見亨《神楽坂》
吉田博《東京拾二題 神樂坂通 雨後の夜》、1929年
ⅲ章 松本竣介と綜合工房――手作りのネットワーク
池袋は池袋モンパルナスと呼ばれ、松本竣介、靉光、鶴岡政男、寺田政明たちが活動した。
東郷青児《黒い手袋》、1933年
吉原治良《麦稈帽と仕事着(麦藁帽子と仕事着B)》、1931-33年頃
松本竣介《N駅近く》、1940年
階段で3階へ降りる。
こっちの階段は普通。
松本竣介《自画像》
松本竣介《立てる像》、1942年
手塚緑敏《下落合風景》
刑部人《我庭 冬》
鶴田吾郎《池袋への道》
寺田政明《ひまわり》
ⅳ章 阿部展也と瀧口修造――美術のジャンルを越えて
阿部展也(芳文)《骨の歌》
斎藤義重《トロウッド(原作:作品)》、撮影禁止
芥川(間所)紗織《女》、1954年
福島秀子《Work》
宮脇愛子《作品(TL11-0)》、1962年、撮影禁止
阿部展也(芳文)/瀧口修造、詩画集『妖精の距離』、1937年
妖精の距離
エピローグ 新宿と美術の旅はつづく
清宮質文《深夜の蝋燭》、1974年
清宮質文《われむかしの日 いにしえの年をおもえり》
収蔵品コーナー
東郷青児《超現実派の散歩》、1929年
SOMPO美術館のシンボルマークに採用されている。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》、1888年
スタッフの方が私語のうるさい方に注意してくれたおかげで、快適な環境で見ることができた。