8泊9日の秋田・山形・福島旅行、5日目。
7時50分にエスモールバスターミナル発の庄内交通バスで約40分、8時29分に羽黒山随神門に到着。
出羽三山神社、三神合祭殿へ。
出羽三山は、山形県の中央にそびえる羽黒山(414m)、月山(1984m)、湯殿山(1500m)の総称で、第32代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子が593年に開山したといわれる。
三山のそれぞれの山は、羽黒山が現在(正観世音菩薩=現世利益の仏=補陀落浄土)、月山が過去(阿弥陀如来=死後の救済仏=極楽浄土)、湯殿山が未来(大日如来=永遠の生命の象徴=密厳浄土)という三世の浄土を表すとされる。出羽三山詣では、羽黒山から入り、月山で死とよみがえりの修行を行い、湯殿山で再生する巡礼が多く行われ、生まれ変わり(死と再生)の意味をもっていた。
「生まれかわりの旅」を羽黒修験道では「三関三渡(さんかんさんど)の行」といい、出羽三山に登拝する「奥参り」は、江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」と、「お伊勢参り」とともに人気を得ていた。
日本遺産「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』~樹齢300年を超える杉並木につつまれた2,446段の石段から始まる出羽三山~」
自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』|日本遺産ポータルサイト
天地金神社にお参りして、随神門から入る。
神橋の近くには、祓川と須賀滝があった。
本殿へ続く石段は2,446段あり、古代から現存する石段としては日本最長らしい。
爺スギは推定樹齢1,000年以上と言われる。
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1159
羽黒山五重塔は平将門の創建とされ、現在の塔は1372年(応安5年)に再建されたといわれる。東北地方で最古の五重塔で国宝。
5月13日(月)~9月30日(月)の期間は、屋根改修工事のため五重塔を見ることができなくなる。
【国宝羽黒山五重塔】杮葺き屋根改修工事のお知らせ | 羽黒町観光協会
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/171465
掃除してくださっている方々がいて、挨拶をしながら間を通って行った。
二の坂茶屋、御本坊跡(御本坊跡)、埴山姫神社と歩いていく。
蜂子神社は、出羽三山の開祖である蜂子皇子を祀る神社。もとは開山堂だったが、1874年(明治7年)の神仏分離により蜂子神社と改められた。
羽黒山三神合祭殿に到着。
羽黒山・月山・湯殿山の三神を合祀している。1818年(文政元年)に完成したもので、重要文化財。
羽黒山、月山、湯殿山へそれぞれ参拝するのが正式な参拝コースだが、標高414mの頂上に建つ三神合祭殿に詣でれば、月山や湯殿山も拝んだことになるといわれる。
出羽三山歴史博物館は10時からのため行かず。
辰歳特別企画「龍神文を描く中国古鏡展~天地を往来する龍に永遠を願って~」が開催中。
http://www.dewasanzan.jp/smarts/index/101/
羽黒山奥之院・荒澤寺は行かず。
荒澤寺正善院の黄金堂は行きたかった。
https://hagurosan-shozenin.or.jp/
帰りに、南谷に寄る。
「おくのほそ道」の旅で芭蕉が泊まった別院紫苑寺の跡。「ありがたや 雪をかほらす 南谷」と詠んだ。
10時41分に羽黒山随神門発の庄内交通バスで約30分、11時11分に内川通りに到着。
バスを降りて歩くと、商工会議所付近に、西郷隆盛像。
庄内の人々は戊辰戦争で降伏した後に寛大な処分を指示した西郷を慕ったらしく、元藩士が西南戦争に従軍したり、「南洲翁遺訓」という西郷の教えをまとめたものを発行したり、酒田には南洲神社があったりする。
「南洲翁・臥牛翁の坐像」というものが庄内の南洲神社と鹿児島の西郷武家屋敷跡にある。臥牛翁は庄内藩の中老だった菅実秀。
https://www.city.sakata.lg.jp/sangyo/kanko/sego.html
1969年(昭和44年)には、兄弟都市盟約を結んだ。
https://www.city.kagoshima.lg.jp/soumu/shichoshitu/kokusai/shise/kokusaikoryu/kyodai/tsuruoka.html
昼食は暫忻亭で、天ざるそばを食べる。
致道博物館
徳川四天王の筆頭・酒井忠次を祖とする酒井家は、3代忠勝が1622年(元和8年)年に庄内へ入部してから明治の版籍奉還まで約250年、この地を治めた。2022年には入部400年を迎えた。
その旧荘内藩主第16代酒井忠良が、1950年(昭和25年)に土地建物および伝来の文化財などを寄附して財団法人以文会が設立され、財団法人以文会立致道博物館、財団法人致道博物館を経て、2012年(平成24年)から公益財団法人致道博物館となった。
企画展は「国宝展示 大名 酒井家の名宝」。
酒井家に伝来した美術品や工芸品、歴史資料などが展示されている。
文化遺産オンラインに登録してくれていることも有り難い!
朱塗黒糸威二枚胴具足、酒井忠次所用の具足で、兜には木製金箔押の大鹿角の脇立を付ける。
黒塗軍配団扇、酒井忠次の軍配
色々威胴丸(重要文化財)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/89943
太刀 銘 信房作(国宝)
1584年の小牧長久手合戦で功績を挙げた酒井忠次が徳川家康から贈られたもの。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/101029
太刀 銘 真光(国宝)
1582年に武田氏を滅ぼした織田信長が、その帰途に酒井忠次へ与えた太刀。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/94760
太刀 銘 延房
源頼朝が奉納、北条家、足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と渡り、徳川家光から産大酒井忠勝が拝領したとされる。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/22914
禅院額字「潮音堂」(重要文化財)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/47301
旧庄内藩主御隠殿
11代藩主酒井忠発が建てた隠居所の一部。
旧西田川郡役所
1881年(明治14年)に建てられたバルコニーや時計塔のある擬洋風建築。
1969年に重要文化財に指定され、1972年(昭和47年)に移築。
1階は、礒貝吉紀ドールハウス・コレクション ミニチュアハウス・ギャラリー、川内由美子コレクション ミニチュアアンティーク洋食器。
2階は、庄内地方の考古学資料展示室。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/47311
旧鶴岡警察署庁舎
1884年(明治17年)に初代県令の三島通庸により建てられた擬洋風建築。
1956年(昭和32年)に現在の場所に移築され、2009年(平成21年)に警察署庁舎としては日本で唯一、国の重要文化財に指定された。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163338
酒井氏庭園
旧渋谷家住宅(豪雪地帯の多層民家)は、田麦俣(旧朝日村)から移築した民家。四層構造で、兜造りと呼ばれる茅葺屋根が特徴。
重要有形民俗文化財収蔵庫には、当館に収蔵されている8件5,350点の重要有形民俗文化財のうち、7件3,550点を収蔵。庄内地方の生活や仕事の用具。
民具の蔵(旧御隠殿土蔵)、1階には北前船関係資料、商業関係資料。2階には鶴岡の伝統工芸品(黒柿細工、竹塗り、瓦人形劇など)、職人用具と技法。
致道館
1805年(文化2年)に9代・酒井忠徳が創設した藩校で、論語の「君子学ンデ以テ其ノ道ヲ致ス」に由来する。
1873年(明治6年)に廃校となり、鶴岡県庁舎、鶴岡警察署、朝陽第一・第二尋常小学校などを経て、1972年(昭和47年)から一般公開されている。
この藩校建築は現存するものとしては東北地方唯一のもので、1951年(昭和26年)に国の史跡に指定されている。
https://www.chido.jp/chidokan/
日本遺産「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」の構成文化財。
https://samurai-yukarino-silk.jp/
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story040/
大寶館
大正天皇の即位を記念して創建され、1915年(大正4年)10月に完成し、11月10日の即位の日に開館した。赤い尖塔と白壁が特徴の洋風建築物。
開館当時から戦前にかけては主として物産陳列場として、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)までは市立図書館として使われた。
大宝館という名前は、中語の易経「大地の大徳を生という。聖人の大宝を位という。」に由来する。
図書館の新築移転に伴って保存修理を行った後、1988年(昭和63年)4月から、鶴岡ゆかりの人物の資料展示施設として一般公開されている。
https://www.chido.jp/taihokan/
1階は、高山樗牛誕生の間など。
2階には、菅原利鑅という今治市をタオル日本一にした人の展示があった。今治ではタオルの父と呼ばれ、今治城跡に胸像が建てられている。
石原莞爾や、日本のダ・ヴィンチといわれた松森胤保に関する展示もあった。
2階には特別展示は「庄内藩 戊辰の役 酒井了恒率いる第二番大隊の戦い」
戊辰戦争では庄内藩は連戦連勝したが、会津や仙台、盛岡など同盟藩が相次いで降伏したため、最後に降伏した。鬼玄蕃と呼ばれた二番大隊長の酒井了恒が破軍星旗という北斗七星をデザインした旗を掲げて活躍した。「破軍星を背にして戦うと必ず勝つ」という中国の言い伝えに習ったらしい。
1868年に庄内藩は戊辰戦争で降伏し、その後、城郭取り壊し令により1876年に建築物の破却、土塁の取り壊し、堀の埋め立てが行われ、新たに一般開放の鶴岡公園となった。
園内には約700本の桜があり、日本さくら名所100選に選ばれている。
https://www.city.tsuruoka.lg.jp/seibi/koen-ryokuti/koen/tsurugaokajyoushi.html
鶴岡桜まつり2024も4月21日(日)頃まで開催されていた。
https://www.tsuruokakanko.com/spot/5690
鶴岡護国神社は、戊辰の役・西南の役に殉じた藩士の霊を祀るため、13代藩主酒井忠篤が鶴ヶ岡城御金蔵址に1895年(明治28年)に創建した。その後も、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦で、国家のために殉じた方々を英霊として祀っている。
荘内神社
鶴ヶ岡城の本丸御殿があった場所に建てられた神社で、御祭神は4人の酒井家藩主、初代 酒井忠次、二代 酒井家次、三代 酒井忠勝、九代 酒井忠徳。
明治維新後の1877年(明治10年)に、旧藩主を御祭神として神社を作るということは、本当に慕われていたんだろう。
宝物殿には、鎮座120年を記念して、平成10年に開館した。旧藩主酒井家より奉納された品々が展示されている。
「端午の節句展」で、江戸時代の武者人形が展示されていた。
御城稲荷神社は、1708年(宝永5年)創建。鶴ヶ岡城内に鎮座する神社で、御城時代の唯一の建築物。
https://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/
旧風間家住宅 丙申堂(重要文化財)
明治29年(丙申の年)、7代当主・風間幸右衛門によって住居と営業の拠点として建てられた。
風間家は1779年(安永8年)創業で、庄内藩の御用商人として呉服・太物屋を営み、幕末には鶴岡第一の豪商となった。明治時代には貸金業に転じ、庄内地方では酒田の本間家に次ぐ大地主に成長した。納税額が本間家に次いで2位という資料の展示もあった。
杉皮葺きの石置屋根が特徴的で、杉皮を重ねた屋根の上に平らな石を置いた屋根。
無量光苑 釈迦堂。
1910年(明治43年)に、丙申堂の別邸として建てられた数寄屋風建築。
山王日枝神社も注連縄が独特だった。
ファリナモーレ・ドルチェで、ジェラート。
アルケのバニラ、だだちゃ豆のダブル。https://www.alchecciano.com/farinamore.html
アル・ケッチァーノの姉妹店。
桜木町のコレットマーレにあるイリエスケープ (iliescape)というお店も姉妹店と教えてもらった。
https://www.shoko-corpo.jp/bussan/branch/ajikaido-small/
鶴岡は、ユネスコ食文化創造都市に認定されている。
https://www.creative-tsuruoka.jp/
今日のホテルは、スーパーホテル山形・鶴岡。
エクストラルーム12㎡。
2024年04月25日~05月03日 秋田・山形・福島旅行