松陰神社・豪徳寺

昼食は、NIKKO KANAYA HOTEL CRAFT GRILLで、赤城牛の土鍋ビーフシチューとアウグスビールホワイト。

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小田急線で新宿駅から豪徳寺駅に行き、すぐ近くの山下駅まで歩いて、東急世田谷線松陰神社前駅に行く。

たまたま猫の車両に乗れたが、「幸福の招き猫電車」と言うらしい。

幸福の招き猫電車 運行時刻表

 

松陰神社

1859年(安政6年)に安政の大獄で刑死した4年後の1863年文久3年)に、門下生の高杉晋作伊藤博文等によって長州藩主の別邸のあった世田谷に改葬された。


本殿の内陣は神社創建時に伊藤博文山縣有朋井上馨乃木希典等によって造営された社殿で、石灯籠も毛利元昭、伊藤博文山縣有朋井上馨桂太郎、木戸孝正、乃木希典青木周蔵寺内正毅等により奉献されたもの。

松陰先生他烈士墓所には、木戸孝允寄進の鳥居や、徳川家奉納の水盤と石燈籠がある。

山口県にある松下村塾を模したものもあったが、雨戸等は閉まっていた。

吉田松陰の像2体、更に風鈴もあった。

 

東急世田谷線松陰神社前駅から宮の坂駅に行き、世田谷八幡宮へ。

源義家宇佐八幡宮の分霊を祀ったことが始まり。

9月には奉納相撲が行われ、江戸時代には江戸三相撲と呼ばれた。

あとの2つは、渋谷氷川神社(渋谷区)、大井鹿嶋神社(品川区)らしい。

世田谷八幡宮 ー 江戸三相撲の名所 ー

 

歩いて、豪徳寺へ。

1633年(寛永10年)に世田谷が彦根藩の所領地となり、藩主の井伊直孝が1480年(文明12年)に建立されていた弘徳院を再興して、彦根藩主井伊家の江戸菩提寺と定めた。

1659年(万治2年)に2代藩主井伊直孝法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因んで、豪徳寺と改称された。

 

豪徳寺には、招き猫がたくさんいる。

井伊直孝が猫によりお寺に招かれ幸運を得たことから弘徳院(豪徳寺)を支援し、その後、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられた。

豪徳寺の招福猫児は小判を持っておらず、右手をあげている。

招福猫児は人を招いて縁をもたらしてくれるが、福そのものを与えてくれるわけではなく、人との大切な縁を生かせるかどうかは、その人次第ということらしい。

三重塔にも猫が彫られていて、寺務所ではサイズにより500円~7,000円で招福猫児が販売されている。