ハッピー龍イヤー!〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜
ホワイエ ~龍、丸の内でお迎え~
青花紅彩龍文盤「大清乾隆年製」銘
青花黄彩雲龍文盤「大清乾隆年製」銘
章1第 龍、東アジアを翔ける
褐釉絞胎龍耳瓶
鉄砂雲龍文壺
雲龍蒔絵印籠(銘「鹽見」「政誠」)
朱塗龍蒔絵印籠
雲龍蒔絵印籠
大漢和辞典によると、
龍が2つで「龖」、①飛竜。龍の飛ぶさま。②おそれる。
3つで「龘」、龍の行くさま。
4つで「𪚥」、言葉が多い。多言。この字は大漢和辞典で画数が多い漢字ランキング1位の64画。
章2第 龍、中国工芸に降臨す
雲龍堆朱盒「大明宣徳年製」銘
紺地龍“寿山福海” 模様刺繍帳
五彩雲龍文盤「大明万暦年製」銘
五彩双龍文鉢(青呉州)
緑紫彩龍文瓶
豆彩龍鳳文盤「大清雍正年製」銘
紫地龍文錦卓掛
皇帝の象徴の5本爪のうち1本が黒く塗りつぶされているのは、臣下や他者に渡す際に問題になるのを未然に防ぐためだったとか。
章3第 龍、日本を駆かけめぐる
龍虎図屏風、橋本雅邦、重要文化財
「雲は龍に従い、風は虎に従う」(周易)
群仙図屏風、鈴木松年
色絵団龍文陶板
釉裏紅龍濤文缸
章4第 龍、茶道具に入り込む
龍虎寿老人図 三幅対
大名物 唐物茄子茶入「利休物相」、重要美術品
黒樂茶碗「紙屋黒」
曜変天目(稲葉天目)、国宝
13時05分に日比谷駅発の東京メトロ日比谷線で約5分、13時10分に築地駅に到着。
築地本願寺へ。
1617年の創建だが、明暦の大火と関東大震災に伴う火災により2度本堂を焼失し、1934年に現在の本堂の姿となった。
明暦の大火後に、再建のため当時は海だった現在の場所を埋め立てて土地を築いたことが「築地」という名称の由来になっている。
現在の建物は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太の設計によるもの。
建築研究のためアジア各国を旅した伊東忠太と、仏教伝来ルートを明らかにするためにシルクロードを旅した大谷光瑞(当時の浄土真宗本願寺派門主)との出会いが縁となっているらしい。
インド等アジアの古代仏教建築を模した外観や本堂入り口のステンドグラス、数多くの動物の彫刻などが特徴で、シルクロードを伝わる仏教伝来のルーツを表しているよう。
その一方で、内観は中央正面に本尊阿弥陀如来が安置しているなど、伝統的な浄土真宗寺院の造りとなっている。
本堂にはパイプオルガンもある。1970年に仏教音楽の普及を願って寄贈されたもので、法要行事や結婚式の他、毎月最終金曜日に行われるランチタイムコンサートで楽しむことができるそう。
浄土真宗の教えによると御朱印、おみくじ、お守りはないようで築地本願寺には用意されていないが、その代わりにカフェやオフィシャルショップ、ブックセンターがある。
築地本願寺カフェ Tsumugiで、かわりばんこ抹茶パフェを食べる。
築地本願寺倶楽部というものがあり、会員になると施設内の店舗で割引を受けられるなど特典がある。
2023年(令和5年)は、親鸞誕生850年・立教開宗800年。
親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要|浄土真宗本願寺派(西本願寺)
江戸時代は将軍家の鷹狩場で、のちに屋敷が建てられ将軍家の別邸(浜御殿)となり、明治維新後に皇室の離宮(浜離宮)となった。
1945年(昭和20年)11月3日に東京都に下賜され、整備のうえ1946年(昭和21年)4月から有料公開された。
江戸時代から続く庭園では、都内唯一の海水の池で、東京湾の水位の上下に従って水門を開閉し、池の水の出入りを調節しているよう。
新銭場鴨場、中島の御茶屋
富士見山から富士山は見えなかった。
海沿いを歩く。
鷹の御茶屋から、お伝い橋を渡る。
可美真手命像
三百年松は、1709年に6代将軍徳川家宣が庭園の大改修を行った頃に植えられたと言われ、現在では都内最大級の黒松のよう。
たいやき神田達磨 築地店で、かりんとう饅頭のつぶあん、いもあんを食べる。