10時59分に大手町駅に到着。
皇居三の丸尚蔵館へ。
皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
皇居三の丸尚蔵館開館記念展「皇室のみやび―受け継ぐ美―」
2023年11月に開館30年を迎えた三の丸尚蔵館が、新たに「皇居三の丸尚蔵館」として開館することを記念して開催。
第4期は「三の丸尚蔵館の名品」。
出品目録
https://shozokan.nich.go.jp/media/exhibition/miyabi4_list_Japanese_0508.pdf
2023年11月14日に第1期「三の丸尚蔵館の国宝」を見た時のブログ。
皇室のみやび―受け継ぐ美―(皇居三の丸尚蔵館)・貨幣博物館 - ある日 この道
図録付きチケットを購入したため、受付時に図録を貰う。
春日権現験記絵 巻一、高階隆兼、鎌倉時代 延慶2年(1309)頃、国宝
藤原氏の氏神を祀る春日大社の創建と霊験を語る絵巻。制作者や経緯を記した目録とともに全二十巻が欠けることなく現存している。明治時代に鷹司家から皇室に献上された。
天子摂関御影 天皇巻、藤原為信・豪信、鎌倉~南北朝時代14世紀
鳥羽天皇(1107年即位)から後醍醐天皇(1318即位)まで途中4人を除く歴代19人の天皇と後高倉院(太上天皇)が描かれている。
天子摂関御影|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
2024年3月15日の文化審議会の答申により、重要文化財に指定されることになった。
国宝・重要文化財への指定が答申されました | お知らせ | 皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
老松孔雀図、諸魚図、蓮池遊魚図、芙蓉双鶏図。
30幅からなる花鳥図で、相国寺に寄進されて儀式に使用されていた。1889年(明治22年)に明治天皇へ献上された。
花鳥十二ヶ月図、酒井抱一、江戸時代 文政6年(1823)
二月 菜花に雲雀図、三月 桜に雉子図、十月 柿に小禽図、十一月 芦に白鷺図。
12カ月の花と生き物を一幅ずつ表したもの。酒井抱一は琳派の一人。
花鳥十二ヶ月図|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
隣の展示室へ。
唐獅子図屏風 、右隻 狩野永徳・桃山時代16世紀、左隻 狩野常信・江戸時代 17世紀、国宝
毛利元徳の献上品。右隻の獅子2頭は大きいが可愛げがある。
明治宮殿(昭和20年消失)の豊明殿という広間のために制作された。
七宝四季花鳥図花瓶、並河靖之、明治32年(1899)
漆黒の背景に、四季の花々や樹木と野鳥。1900年のパリ万博に出品された。
七宝四季花鳥図花瓶|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
双鶏置物、戸島光孚ほか、大正5年(1916)
等身大に近い雌雄の鶏を蒔絵で表した置物。
1928年(昭和3年)の大礼を奉祝して公家出身の華族一同が献上。
双鶏置物|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風、髙島屋呉服店、昭和3年(1928)
1928年(昭和3年)の大礼に際して京都市が献上。刺繍屏風なので立体感がある。
閑庭鳴鶴・九重ノ庭之図刺繍屏風|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
萬国絵図屏風、桃山~江戸時代 17世紀、重要文化財
右隻に8人の王侯騎馬図とポルトガル地図・28の都市図、左隻に世界地図と諸国の人物図。
1609年にオランダでP.カエリウスという人物が出版した世界地図に基づいている。イエズス会のセミナリオで学んだ日本人が描いたと考えられ、明治天皇の御学問所にあったとされる。
萬国絵図屏風|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
青海波塗硯箱、伝 青海勘七、江戸時代 17世紀
徳川光圀遺愛の硯箱。青海勘七が考案した青海波塗で、飛び散る飛沫を金銀の鋲で表現しているのが綺麗。
青海波塗硯箱|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
宇治川蛍蒔絵料紙箱・硯箱、初代飯塚桃葉、江戸時代 安永4年(1775)
宇治橋と月に、352匹の蛍。徳島藩御用蒔絵師の初代飯塚桃葉が制作して、明治初期に旧徳島藩主の蜂須賀茂韶が献上。
宇治川蛍蒔絵料紙箱・硯箱|皇居三の丸尚蔵館 The Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shozokan
東京駅丸の内駅舎は辰野金吾の設計によって1914年(大正3年)に創建された。
そして1988年、駅を単なる通過点ではなく、香り高い文化の場として提供したいという願いを込め、東京駅丸の内駅舎内に東京ステーションギャラリーが誕生した。
東京駅周辺美術館共通券を使用。
3月14日に購入して、利用した時のブログ。
どうぶつ百景 江戸東京博物館コレクションより
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202404_dobutsu.html
江戸幕府が創設され、京都、大坂に並ぶ三都の一つとなった江戸・東京に暮らした人々は、どのように動物とかかわってきたのか。それを物語る美術品や工芸品など約240件が、江戸東京博物館のコレクションから選ばれて展示されている。
2022年にパリの日本文化会館で行われた「いきもの:江戸東京 動物たちとの暮らし」展を拡充した凱旋帰国展。
出品リスト
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/pdf/list_202404_dobutsu.pdf
エレベーターで3階へ。
プロローグ 外国人が見た日本人とどうぶつ
ジョルジュ・ビゴー、『あさ』、一八八三(明治十六)年
家族の一員として犬が人力車に乗っている。
エドワード・S・モース著、 “Japan Day by Day, 1877, 1878–79, 1882–83” vol. 1(『日本
その日その日』)、一九一七(大正六)年
「町の人々が道にいる犬や猫を邪魔しないように避けて歩いたり跨いだりして通行し、動物の名に親しみを込めて「さん」づけして呼ぶ」と記されている。
第一章 江戸のどうぶつ―「江戸図屏風」のどうぶつを探してみよう
江戸図屏風(複製)(国立歴史民俗博物館原蔵)、十七世紀前半【オリジナル】
第二章 飼育されたどうぶつ
第二章-一 働くどうぶつ
鞍掛木馬、江戸時代
上流武家の子どものための木馬で、乗馬の稽古をするために使われた。鞍掛馬の稽古ということわざもある。
宮崎安貞著 貝原楽軒補 、『農業全書 一 農事総論』、一六九七(元禄十)年
日本最古の農業に関する刊行物。徳川光圀も内容を称えた。
捨馬禁止触書高札、一六八八(貞享五)年
生類憐みの令に関する高札。病気で回復の見込みのない馬を遺棄した者は死罪に処すという内容。
井戸時代の犬は個人で飼われているのはわずかで、都市の場合は多くは町で飼われた町犬。町犬は長屋や商店の住人から餌をもらって暮らし、共同体の一員として存在が認められていた。
歌川広重(三代)、鉄道馬車往復日本橋之真図、一八八二(明治十五)年
1882年(明治15年)6月25日、新橋と日本橋を結ぶ鉄道馬車が営業を開始し、10月には浅草まで延伸した。鉄道馬車は2頭の馬が25人乗りの客車を牽引した。
第二章-二 家庭に飼われたどうぶつ
伝徳川綱吉、鶏図、江戸中期
徳川綱吉、練鵲図、江戸中期
鶯鳴き台用 鳥籠と外箱、一九二三(大正十二)年七月十五日製作
春のウグイスの美声を競う鶯合は15世紀半ばから記録が残る。ウグイスは秋のウズラと並んで鳴合の主役だった。
月岡芳年、風俗三十二相 あったかさう 寛政年間町屋後家の風俗、一八八八(明治二十一)年
江戸時代に猫を愛玩動物として飼うことが広まるとともに、その様子を描く浮世絵も多く刷られた。女性と猫の組み合わせはよく見られる構図。
歌川広重、名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣、一八五七(安政四)年
窓格子越しに外を眺める猫。その目線の先では、田園の中を大勢の人が列をなして進んでいく。空には鳥が連なって飛んでいて、奥には富士山のような山も見える。
全盛兎別品競 初編、一八七三(明治六)年
日本で広く飼育されている兎はカイウサギ。室町時代の天文期(1532~1555年)に伝来したと伝わり、江戸時代中期以降に庶民にも飼われるようになった。1871~73年頃に兎の飼育ブームが起こり、交配による品種改良も行われた。
この絵には、人気が高い毛並みの兎や高値がついた兎の名称と飼育業者などが記されている。特に白地に黒い斑点を持つ「更紗」と呼ばれる兎に人気が集まっていることがわかる。
泉花堂三蝶著、『百千鳥』、一七九九(寛政十一)年
鳥を愛玩動物として飼育することが広まったことにより出てきた、鳥の飼育方法について指南する書籍。
楊洲周延、あつま きん魚、一九〇四(明治三十七)年
江戸時代中期以降、庶民に金魚の飼育が広がるとともに、江戸の町には金魚や、その餌となるボウフラを扱う商人が現れた。
第三章 野生のどうぶつ
第三章-一 野生どうぶつの記録
江戸時代には本所の北十間川に架かる源森橋(現在のスカイツリー付近)の下にニホンカワウソが泳いでいたり、江戸の町には鶴やトキが飛来したりした。
楊洲周延、千代田之御表、一八九七(明治三十)年
小金原での鷹狩からの帰り道の場面。
岩崎灌園著、『武江産物志』、一八二四(文政七)年
江戸とその近郊の動植物の目録。江戸時代後期の本草学者の岩崎灌園の実地調査に基づく。
中村惕斎編 源三郎、『訓蒙図彙』畜獣・禽鳥、一六六六(寛文六)年
日本で最初の図解百科。訓蒙とは子どもに教え諭す、図彙とは図を集めることを意味する。虎や豹、ラクダなど日本では見ることの難しかった動物の表記もみられる。鳳凰も載っていた。
平賀源内編画、『物類品隲』、一七六三(宝暦十三)年
平賀源内は江戸の医師で本草学者の田村藍水に師事して本草学を学んだ。
本書は5回の薬品会の成果をまとめた博物誌で、動植物や鉱物など360種の図と解説が掲載されている。
階段で2階に降りる。
第三章-二 四季の楽しみ
歌川広重、名所江戸百景 深川洲崎十万坪、一八五七(安政四)年
空高く飛ぶ鷲が江戸湾に面した湿地帯を見下ろしている。
鈴木春信、蚊帳を吊る母子、明和末期
豊原国周、今様源氏紫緒蛍遊び、一八六一(文久元)年
男女が蛍狩りに興じている姿が描かれている。偐紫田舎源氏が題材。
歌川豊国(二代)、風流東姿十二支 戌、文政末期
子守の娘が幼子を玩具であやしている。安産や子どもの成長祈願の象徴であった犬が副題として描かれている。
楊洲周延、見立十二支 子 伝通院大黒天、一八九四(明治二十七)年
鼠は商売繁盛などの福の神である大黒天の使いであるとされ、ハツカネズミを愛玩動物として家で飼育することが流行した。
飼育書も刊行され、海外産の鼠の輸入や品種改良も行われた。
元和元年より万延元年迄十二支図入略年表、十九世紀
1615~1860年までの年表。大阪城落城に始まり、各年の主な出来事として災害や仏社の行事などが記されている。
虫を擬人化して詠んだ詩が紹介されている。
第四章 見られるどうぶつ―見世物から動物園へ
堤它山著、『駱駝考』、一八二四(文政七)年
ラクダの研究書。
智善院撰、『象志』、一七二九(享保十四)年
1728年に中国商人の手引で象が長崎に舶来し、徳川吉宗に献上された。
歌川芳盛、天竺馬爾加国の出生大象の図、一八六三(文久三)年
1862年に米国船によって横浜に舶来した像。江戸時代に象は日本に3度持ち込まれたが、見世物として日本各地を回ったのは、この年にやってきた象だけ。
仮名垣魯文記 歌川芳豊、紅毛舶来猛虎之演義、一八六〇(万延元)年
タイトルには虎とあるが描かれているのは、1860年に江戸で見世物となった豹。豹は虎の雌であるとも信じられていた。
落合芳幾、虎の見世物 辻ビラ、一八六一(文久元)年頃
1861年には本物の虎が横浜に舶来し、同年に江戸で見世物興行が行われた。
カワラヒワの剥製が使われたカラクリで、ゼンマイを巻くと、鳥の頭や尾が動き、鳥のさえずりが聞こえる。
田中久重は東芝の創業者で、からくり儀右衛門や東洋のエジソンとも呼ばれた。
からくり儀右衛門の発明人生 - 田中久重ものがたり|東芝未来科学館
歌川広重(三代)、浅草寺境内ニテ フランス大曲馬、一八七一(明治四)年
スリエ曲馬団の興行の様子。
梅堂小国政、墺国ウヲジアー大曲馬、一八八八(明治二十一)年
サーカス団の興行の様子。馬、猿、鳩がいる。
小林幾英、上野乃満花不忍競馬之図、一八八九(明治二十二)年
祭典として開催された競馬。競馬は奉納という表看板のもと寺社などで行われることが多かった。
第五章 デザインの中のどうぶつ
第五章-一 きもの・装身具・身の回りの品々
白羅紗葵紋付陣羽織(徳川慶喜所用)、江戸末期
銀珊瑚飾梅鴬鈴付びらびら簪、十九世紀
2024年5月23日(木)に行ったサントリー美術館の「名品ときたま迷品」で似たようなものを見た。
(奈良・大阪1) 「名品ときたま迷品」を見て奈良へ - ある日 この道
型紙 竹に洋傘、型紙 くもの巣、型紙 茄子に雀
型紙は型染という染色技法の道具の一つ。雀が可愛かった。
刺繍藤に猿図懐中たばこ入れ、江戸時代
雉芙蓉蒔絵螺鈿印籠、江戸後期
隅田川焼向付(都鳥)、明治時代
冬に飛来するユリカモメ、通称・都鳥をかたどった食器。
ユリカモメは都民の鳥に指定されている。
歌川国利、しん板ねこづくし、江戸末~明治後期
子ども向けに作られた手遊びができる木版画を総称して玩具絵といい、この絵は玩具絵の中でも物尽くしと呼ばれる。
第五章-二 人形・おもちゃ
猫の蚊遣り、昭和前期
赤羅紗小犬文守袋、江戸~明治時代
金沢(尾張屋)春吉、今戸土人形 子持猫・虎・秋田犬など、大正時代~昭和初期
今戸の土人形は元禄期から記録が残る。尾張屋は江戸時代から続く今戸人形製作の家系で、1945年まで作り続けた。
ミニチュア玩具 とんだりはねたり 猿・蛙・虎・うさぎ・ねずみ、昭和中期
江戸時代中期に考案された玩具。
セルロイド玩具
セルロイドは19世紀に米国で発明されたプラスチックの一種。
日本では20世紀初頭に国産化に成功し、1920年代には世界のセルロイド玩具生産の70~80%を占め、輸出産業を支える花形製品となった。
黒塗桐鳳凰文様金銀蒔絵貝合道具(複製)、江戸末期【オリジナル】
番外編 東京の鉄道馬車
1882年(明治15年)から1903年(明治36年)まで、東京の大通りではレールの上を馬車が走っていた。その東京馬車鉄道に関する展示。
歌川広重(三代)、鉄道馬車往復京橋煉瓦造ヨリ竹河岸図、一八八二(明治十五)年
志ん板くるまづくし、一八九三(明治二十六)年
くるま尽くしなだけでなく、登場する運転手も客も擬人化したねこ尽くしでもある。
井上安治(探景)、日本橋区大伝馬町参丁目大丸屋呉服店繁栄図、一八八六(明治十九)年
大丸百貨店は1717年に創業。1743年に日本橋に大丸屋江戸店を開店。
東京日本橋之景、一八八八(明治二十一)年
日本橋から富士山を見たい。
重要文化財である東京駅丸の内駅舎は2007年から約5年間、保存・復原工事が行われ、創建時の3階建てとなり、南北のドーム天井も創建時の装飾が忠実に再現された。
復原前の天井は、戦後の復興工事で資材や資金が不足する中、戦闘機用にとってあったジュラルミンに白いペンキを塗って作られた、シンプルなデザインだった。復興工事完了の1947年から60年の間利用された天井は復原工事によって取り除かれたが、戦災復興工事のシンボルとして記憶の継承のため、ドームの床にそのデザインが転写された。
東京駅の駅舎にある八角形の形をしたドームの天井の各コーナーには方位にしたがって十二支のうち八支(丑・寅・辰・巳・未・申・戌・亥)の石膏彫刻が取り付けられている。
その干支レリーフ石膏原型。
「木レンガ」は創建時の工事で内装材をクギで固定するための部材で、空襲による火災の影響で黒く炭化している。
18時00分の閉館まで見て帰る。
大坂で見た中之島香雪美術館の「北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 江戸東京博物館コレクションより」も「江戸東京博物館コレクションより」だった。
江戸東京博物館は大規模改修工事のために2025年度中(予定)まで休館中。