10時44分に三越前駅に到着。
越後屋開業350年記念特別展「三井高利と越後屋―三井家創業期の事業と文化―」
出品目録
https://www.mitsui-museum.jp/exhibition/images/230628/catalog230628.pdf
三井グループの創業者、三井高利は52歳のときに呉服店「越後屋」を開き、「現金掛け値なし」の商法で当時の商慣習を覆した。
2023年 (令和5年)は越後屋が1673年 (延宝元年)に開店してからで350年で、この特別展は三井グループ350周年記念事業の一つ。
2020年には三菱が創業150周年を迎えた。
美術館に向かうエレベーターから格好良い。
オーディオガイドを借りて、展示前室には牡丹鶏図剪綵衝立。
展示室 1 三井家黎明期の遺品
三井高利夫妻像(江戸時代・17世紀)
三井越後守宛紅粉屋藤太夫預り手形(桃山時代・慶長 3 年(1598))は、三井越後守と書かれた唯一の資料
万借帳(江戸時代・寛文 9 年(1669))と万覚帳(江戸時代・寛文11年(1671))は、現在残っている三井の経営帳簿で最も古いもの
高利の母親である殊法は三井創業期の歴史をまとめた「商売記」で三井家商いの元祖と評される。
御所車蒔絵硯箱(江戸時代・17世紀)
島台寿老人像 宗竺翁八十賀(江戸時代・享保17年(1732))
展示室も格好良い。
展示室 2 高利の遺愛品 1
赤楽茶碗 銘再来(樂道入、江戸時代・17世紀)
展示室 3 高利の遺愛品 2
十徳(江戸時代・17世紀)は、如庵の再現展示室にあった。
如庵は犬山にある国宝の茶室、斜めの壁や新聞の壁紙を覚えている。
展示室 4 三井家創業期の歴史と事業
1 .松坂時代の三井
2 .江戸出店と駿河町移転
諸法度集(三井高利、江戸時代・延宝元年(1673))
日本永代蔵(井原西鶴、江戸時代・貞享 5 年(1688))は、ビジネス小説らしい。三井がモデルとなった日本一の大商人三井九郎右衛門という架空の商人が登場するよう。
3 .江戸時代の三井の事業
宗寿様御筆之軸(江戸時代・17世紀)は、高利が江戸本店の重役に宛てた書状(写し)
天秤(江戸時代)
大福帳(大坂両替店、江戸時代・18世紀)は、大坂両替店の帳簿で、現在の総勘定元帳。1754年(宝暦4年)から1873年(明治6年)まで160冊現存する。
天秤(江戸時代)
大元方勘定目録(大元方、江戸時代・18世紀)は、江戸時代における三井の総決算帳簿で、三井の全事業の資産と収支を記載している。1710年(宝永7年)から1873年(明治6年)まで約160年分の記録が残っている。(一部欠本あり)
禁裏御用絵符(江戸時代・19世紀)、紀州御用絵符(江戸時代・19世紀)。輸送時に用いられた木札。
4 .次世代への継承
宗寿居士古遺言(江戸時代・元禄 7 年(1694))は、三井高利の遺言。
一札(江戸時代・元禄 7 年(1694))は、遺言に対する子どもたちの意思表明。資産や事業を分割せず、一体として継承して事業を続けること、高平を親と思い兄弟一同その指示に従うことなどを誓約する。のちの財産共有制の原型ともいえる。
家伝記(江戸時代・享保 7 年(1722))
宗竺遺書(三井高平、江戸時代・享保 7 年(1722))、高利の長男である高平が自らの遺書の体裁で三井の家法をまとめたもの。1900年(明治33年)に三井家憲が制定されるまで三井の最高規範だった。
商売記(江戸時代・享保 7 年(1722))、高利の三男の高治が記した。創業期の三井の家と商売の歴史を記す。
中西宗介覚(江戸時代・享保 2 年(1717))、創業期に支えた重役が三井同族に宛てた建言書。中西宗介は功績により死後に三井姓を許される。
町人考見録(三井高房、江戸時代・享保後期(1730年代))、中西宗介のすすめで3代高房が父である2代高平の見聞をまとめたもの。約50件の商人の様子が描かれ、次世代の三井同族への戒めとして作成された。
5 .駿河町の繁栄と全国展開
江戸本店本普請絵図面(江戸時代・天保 3 年(1832))。起こし絵図と言われる立体模型。
江都京都浪花三店絵図(江戸時代・19世紀)、京都、江戸、大坂の店舗を一幅一店ずつ描いたもの。
展示室 5 高利の遺愛品 3
享保~元文年間(1716 ~ 1741)の茶道具収集
1 .享保年間(1716 ~ 1736)入手
屋島合戦図(伝土佐光信、室町~桃山時代・14 ~ 16世紀)
唐物肩衝茶入 北野肩衝(南宋時代・12 ~ 13世紀、重要文化財、大名物)
大井戸茶碗 銘須弥 別銘十文字(朝鮮時代・16世紀)
赤楽白蔵主香合(江戸時代・18世紀)
2 .北三井家二代・高平
青楽茶碗 彫銘「七十三翁宗竺造」(三井高平、江戸時代・享保10年(1725))が作った
瀬戸二見手茶入 銘二見(桃山~江戸時代・17世紀、中興名物)、二見は小堀遠州が二度見したことに由来。伊勢出身の三井家では金葉集「玉くしけ二見か浦の貝しげみ まきえに見ゆ. る松のむら立」を典拠としている。
赤楽大福茶碗(江戸時代・18世紀)
3 .北三井家三代・高房
真台子伝受書(江戸時代・享保16年(1731))は、表千家真台子の秘伝書を高房が写したもの。
4 .元文年間(1736 ~ 1741)入手
瀬戸塞手茶入 銘常如院(桃山時代・16 ~ 17世紀、中興名物)
瀬戸面取手茶入 佐久間面取(江戸時代・17世紀、中興名物)
5 .新町三井家「元文道具帳」記載
展示室 6 高利夫妻の消息と高利自戒書
宗寿御自戒書(三井高利、江戸時代・貞享 5 年(1688))、三井高利が一族に示した訓戒書の写し
展示室 7 三井家の神々
1 .福の神への信仰
松樹院殿御形見箱(蓋裏大黒天図)(伝尾形光琳、江戸時代・17 ~ 18世紀)は、高利遺愛品を収めた箱
大黒図 宗竺賛(三井高房筆・高平賛、江戸時代・享保13年(1728))
大黒・恵比寿図(三井高房、江戸時代・延享元年(1744))
商売繁盛の神である大黒天と恵比寿は三井家が厚い信仰を寄せていた
2 .伊勢神宮への信仰
浮絵伊勢太神宮両所太々御神楽之図、伊勢大々御神楽之図(歌川豊春、絵師不詳、江戸時代・18世紀)
伊勢参詣曼荼羅(江戸時代・17世紀)
右幅に外宮、左幅に内宮の参拝ルートが描かれる。江戸初期のものと考えられ、伊勢神宮における神仏習合の姿も色濃く伝えている。
3 .三囲稲荷への信仰
三囲(みめぐり)神社は、三囲稲荷とも呼ばれ、三井家は享保年間に三囲神社を江戸における守護社と定めた。三囲神社のある向島が三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角、つまり鬼門に位置したから。また、囲の文字には三井の井が入っていて、「三井を守る」と考えられたから。
1693年(元禄6年)、江戸の干ばつに際して宝井其角が雨乞いの句「夕立ちや田をみめぐりの神ならば」を詠んで雨が降ったことから、俳諧の聖地とも言われる。
三井越後屋を継承する日本橋三越本店屋上には、1914年(大正3年)9月21日に三囲神社の分霊が祀られた。
4 .先祖を祀る顕名霊社
白糸中紅糸威胴丸具足(桃山時代・16 ~ 17世紀)は、三井高利の祖父で三井家の家祖とされる三井高安の所用として伝わり、顕名霊社の御神宝として祀られていた。
三井高安は近江の佐々木六角氏の武将として仕え、六角氏の滅亡後に伊勢に移り、商人となった。
日記(顕名霊社事務所、昭和 8 年(1933))
顕名霊社は三井高利をはじめ没後百年を経過した三井家の先祖夫妻を祀る祖霊社。現在は東京の三囲神社の一角にある。
1909年(明治42年)に下鴨に遷座した顕名霊社に参拝するための休憩所として、北三井家別邸の主屋を移築したものが旧三井家下鴨別邸。
歩いて、インターメディアテクへ。
常設展示『Made in UMUT – 東京大学コレクション』
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特別展示『東京エフェメラ』
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特別公開『東大植物学と植物画 – 牧野富太郎と山田壽雄vol.4』
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東京駅の丸の内側に、井上勝という人の像があることに初めて気付いた。
名前も初めて聞いたと思ったが、長州ファイブの一人で、鉄道の父とも呼ばれるらしい。
大手町縁日 2023
8月3日(木)・4日(金)の2日間、大手町仲通りで開催。
先週7月28日(金)、29日(土)は行幸通りで「丸の内 納涼まつり」があった。
17時00分から、筝曲家・菊凪ゆうこ、日本舞踊家・中村梅壽によるパフォーマンス。
サマー、五十鈴川、秋風幻想、鳥のように、夏祭りは手拍子。
秋風幻想という曲の時に、調弦が何回されるかクイズがあったが、何のことだか全然分からなかった。正解は2回だった。
今日のホテルは、ニューオータニイン横浜プレミアム。
スーペリアダブル22㎡。
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