10時26分に二重橋前駅に到着。
今日は「岩﨑家のお雛さま」(静嘉堂文庫美術館)と「三井家のおひなさま」(三井記念美術館)を見る。
下の東京駅周辺美術館共通券を買うため利用はしないが、相互割引を行っており、一方の半券でもう一方の入館料が200円引きになる。
東京駅周辺美術館共通券を購入(4,500円)。
アーティゾン美術館、出光美術館、三井記念美術館、東京ステーションギャラリー、静嘉堂@丸の内の5館で利用できる共通券で、1年間で各館の好きな展覧会を一つ選んで入館できる。11月23日に再開館する三菱一号館美術館の割引クーポンつき。
静嘉堂文庫美術館「岩﨑家のお雛さま」
第 1 章 雛の世界 ─小さきものは、みなうつくし
清少納言は枕草子の中で「うつくしきもの」として「雛の調度」をあげている。
現在の雛道具は、江戸時代の上級武士の婚礼調度を小さく作り変えたもの。
人形には魔除けの意味があり、子どもの健やかな成長への願いも込められている。
長持・挟箱、昭和時代初期 20世紀
貝桶・合貝、昭和時代初期 20世紀
合貝はすごく綺麗。
衣桁、昭和時代初期 20世紀
袱紗、昭和時代初期 20世紀
岩﨑家の替紋である花菱紋があしらわれている。
写真だとサイズ感が分からないが、小さいのにどれも実物のよう。
第 2 章 岩﨑家のお雛さま
老いの眼を 細めて見るや 雛祭り(巨陶)
巨陶は岩崎小彌太の俳号。
岩﨑家雛人形(内裏雛、三人官女、五人囃子、随身、仕丁)、昭和時代初期20世紀
三菱第四代社長・岩﨑小彌太が孝子夫人のために京都の人形司・丸平大木人形店(丸平)に特別に注文したもの。
通常、男雛は天皇を模して仕立てられるが、これは皇太子の姿。
女雛は十二単衣で、本物同様に1枚ずつ着せる。脱ぎ着せは他の職人に任せず五世大木平藏と奥さんの二人のみで行ったらしい。
雛人形の中で男雛と女雛の足のみ、関節が設けられていて立つことも座ることもできる構造になっている。白い歯は象牙を植え込んで作られている。
宝冠には花菱紋。左近桜と右近橘もあった。
向かって左に男雛、右に女雛が座る。京都では逆に座るらしいが、写真に写っていた岩﨑家と同様の形式で展示されている。
犬筥、江戸時代 18~19世紀
立雛(次郎左衛門頭)、江戸時代 18~19世紀
古い形式の雛人形の一つ。江戸時代の立雛のなかでも最大級(像高65.0cm)のもの。
第 3 章 御所人形と春を愛でる
菱川師宣、十二ヵ月風俗図巻 上巻、江戸時代 元禄期(1688~1704)前期
浮世絵の祖である菱川師宣が12ヵ月の風俗を描いた。
鳥居坂本邸での還暦祝賀会(テーブルに木彫彩色御所人形が並ぶ)の写真もあった。
木彫彩色御所人形(鯛車曳、楽隊、宝船曳、輿行列、餅つき)、昭和14年(1939)
小彌太の還暦を祝し丸平に特注したもので、岩﨑家の家紋「隅切り角に重ね三階菱」があしらわれている。
七福神と子どもたち総勢61人の人形で、子どもたちは小彌太の干支にちなんで兎の冠をつけ、宝船に乗る布袋は小彌太、輿に乗る弁財天は孝子夫人に似せたらしい。
御所人形 お福の花見、昭和時代20世紀
これと立稚児には犬がいた。
群兎文姥口佂、昭和14年(1939)
千代田之大奥 雛拝見、明治29年(1896)
明治時代に江戸城大奥の年中行事を三枚続の美人画として描いて出版したもの。江戸時代までは大奥を描くことは御法度だったが、明治時代になり江戸時代を懐かしむ風潮が広まると当時を回顧する本などが販売された。
堂本印象、兎図扇、昭和14年(1939)、撮影禁止
第 4 章 初公開 岩﨑家ゆかりの打掛
白綸子地松竹梅鶴模様打掛、明治末期
色とりどりで豪華!
紅綸子地御伩薬玉柴垣菊模様打掛、明治末期
家紋の三階菱、替紋の花菱紋もあしらわれている。
掌に乗る宇宙。
完品が現存するのは世界で3碗のみ(あと2碗は京都・大徳寺龍光院、大阪・藤田美術館)で全て国宝、現在でも再現することは困難らしい。
室町時代の書物「君台観左右帳記」(能阿弥)に記載されている。
小彌太は「天下の名器を私に用うべからず」と一度も使わなかった。
最後に「静嘉堂@丸の内 歴史と名宝」(約10分)、「曜変天目物語」(10分)を見る。
曜変天目のある最後の展示室と兎図扇(堂本印象)以外は、撮影可能だった。
ここはスタッフの方がうるさい人に注意をしてくれる。
世田谷にある静嘉堂文庫も行ってみたい。
三井記念美術館「三井家のおひなさま」
建物の三井本館は重要文化財で、展示室前室と展示室1,2の壁面は当初のまま残されている。展示室1,2は重役の食堂として使われたらしい。
オーディオガイドは無し。
展示室4のみ撮影可能。
展示前室には、剪綵。
展示室 1 「三井家のおひなさま」
○巴印のひな人形・ひな道具―三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵品
それぞれのひな人形・道具を納める箱には、所要者を示す「お印」がつけられている。
苞子は「巴印」、鋹子は「小蝶印」、久子は「永印」。
享保雛、江戸時代・19世紀
歴史を感じる佇まい。後ろの屏風も良い。
御所人形(三折れ)、江戸時代・19世紀
ほぼ裸のため関節の様子がよく分かる。
服も扇子も綺麗。瞳にはガラスがはめ込まれているらしい。
次郎左衛門雛、明治時代・19 ~ 20世紀
団子ような丸顔。
二十四孝蒔絵組盃、明治~大正時代・20世紀
直径約2.0cmの小さな盃24枚に中国古今の考子24人の故事が描かれている。
展示室 2 「三井家のおひなさま」
○巴印のひな人形・ひな道具―三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵品
立雛、文化12年(1815)
立雛の起源は上巳の節句に災厄を託して海や川に流した紙製の「人形(ひとがた)」とされる。もとは紙で作られたため紙雛とも呼ばれる。
展示室 3 如庵(茶室)「茶道具 春の取り合わせ」
展示室 4 「三井家のおひなさま」
○小蝶印のひな人形・ひな道具―三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵品
牡丹唐草蒔絵雛道具、明治~大正時代・20世紀
段飾り用雛人形(内裏雛/次郎左衛門雛/三人官女/五人囃子/五人楽人/随身/仕丁/犬筥/几帳/雪洞/桜橘ほか)、明治~大正時代・20世紀
雄犬・雌犬で一対の犬筥は、幼児の無事息災を祈り内部に守り札などを納めて、枕元に飾られた。女子の場合は、嫁入りの際に犬筥を輿に乗せ嫁ぎ先まで持参した。犬はお産が軽く生育がよいことや、多子であることから、子孫繁栄への願いも込められている。
○永印のひな人形・ひな道具―浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)寄贈品
浅野久子氏の雛人形・雛道具段飾り、昭和時代初期・20世紀
京都の丸平大木人形店・五世大木平藏が特別に製作した、幅3メートル、高さ5段の豪華なひな段飾り。紫宸殿雛人形もある。
段飾りが始まったのは18世紀半ば頃で、4~5段に増えたのは安永年間(1772〜1781)頃とされる。男雛と女雛の並べ方には諸説あるが、三井家では近代以降に東京で定着した男雛が向かって左側、女雛が右側に座る並べ方をしているらしい。
○珠印のひな人形・ひな道具―三井興子(伊皿子三井家九代・高長夫人〈北三井家十代・高棟と苞子の三女〉)旧蔵品
四世大木平藏製のものが中心。
段飾り用雛人形、明治33年(1900)
風俗衣装人形
子供人形 ことろ遊び、明治時代・20世紀
桜の下で遊んでいる。
展示室 5 「伊皿子三井家のおひなさま」
○桃印のひな人形・ひな道具―原口忠子氏(伊皿子三井家九代・高長と興子の次女)所用品
官女狆引き
狆(ちん)は犬らしい!白黒のシーズーっぽい。
御殿付き雛人形、昭和 4 年(1929)
○菊印のひな人形・ひな道具―豊田博子氏(伊皿子三井家九代・高長と興子の三女)所用品
展示室 6 特別展示「丸平文庫所蔵 京のひなかざり」
丸平文庫とは、江戸時代の明和年間(1764~1772)に創業し、現在まで約260年続く京都の人形司「丸平大木人形店」の資料室。
丸平大木人形店は、「まるや」と号し、当主は代々「まるや(大木)平藏」を襲名し、現当主は七世、「丸平」の通称で親しまれる。
静嘉堂文庫美術館で見た「岩﨑家雛人形」、「木彫彩色御所人形」もここのもの。
御所人形(立稚児)、明治時代後期~昭和時代初期・20世紀
ずらっとたくさん。お腹を見せている犬もいた。
産屋の室礼(お産屏風/天児/這子/白絵犬筥)、令和 5 年(2023)
展示室 7 特別展示「丸平文庫所蔵 京のひなかざり」
明治天皇・皇后・乃木大将、大正時代初期・20世紀
享保雛、昭和50年(1975)
直衣雛、平成20年(2008)