すみだ北斎美術館・江東区芭蕉記念館・清澄庭園・深川江戸資料館

9時27分に新宿駅に到着。

 

「メトロ&ぐるっとパス」を購入。

「東京・ミュージアム ぐるっとパス2024」と限定デザインの東京メトロ24時間券2枚がセットになったもの。東京メトロ24時間券1枚(600円)程度の570円安くなる。

2024年度版「メトロ&ぐるっとパス」を発売します!|東京メトロ

「東京・ミュージアム ぐるっとパス2024」は、東京を中心とする103の美術館・博物館等の入場券や割引券がセットになったお得なチケット。

 

9時44分に新宿駅発のJR総武線で約20分、10時05分に両国駅に到着。

江戸東京博物館は大規模改修工事のため、2022年4月1日~2025年度中(予定)まで全館休館中。

江戸東京博物館

 

すみだ北斎美術館

葛飾北斎は1760年(宝暦10年)に現在の墨田区亀沢付近で生まれ、90回以上の引越しをしたが、90年の生涯のほとんどを墨田区内で過ごした。

すみだ北斎美術館 - トップ

3階の企画展は「北斎 グレートウェーブ・インパクト ―神奈川沖浪裏の誕生と軌跡―」。

すみだ北斎美術館 - 北斎 グレートウェーブ・インパクト ―神奈川沖浪裏の誕生と軌跡―

2024年7月3日から発行される新紙幣で、千円札の裏側に「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が図柄として採用された。

https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/

作品目録:グレートウェーブ展作品目録.pdf - Google ドライブ

作品目録は紙では用意されず、QRコードでの読み取りのみ。

 

プロローグ 新しいお札になったグレートウェーブ

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏、葛飾北斎天保2年(1831)頃

すみだ北斎美術館 - 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

新札(千円券)見本、令和6年(2024)

日本銀行 改刷のお知らせ ポスター、令和5年(2023)

 

第1章 江戸の西洋ブーム—海外へのあこがれ

 1720年(享保5年)の吉宗による洋書輸入の禁緩和の影響で、浮世絵において西洋の透視図法(線遠近法)を取り入れた浮絵が制作されるようになった。

北斎漫画』三編 三ツわりの法、葛飾北斎、文化12年(1815)

 透視図法(線遠近法)の解説が見られる。「三ツわりの法」とは、画面の3分の1の位置に地平線を引いて、空間の広がりを表現する方法。

新板浮絵浦島龍宮入の図、葛飾北斎天明年間(1781-89)

東都十二景 おちやのみつ、葛飾北斎、文化(1804-18)初期

江戸八景 両国暮雪、葛飾北斎、文政(1818-30)末~天保(1830-44)初期

六郷渡、柳々居辰斎、文化~文政年間(1804-30)頃

 アルファベットのような文字が並んだ蘭字枠。

冨嶽三十六景 相州七里浜、葛飾北斎天保2年(1831)頃

 

第2章 グレートウェーブ誕生―その波は、どこから来たのか

 北斎が神奈川沖浪裏を制作したのは70代のとき。

千鳥の玉川図(パネル)、葛飾北斎、寛政(1789-1801)末~享和年間(1801-04)初期

 2羽の千鳥が可愛い。

すみだ北斎美術館 - 千鳥の玉川

海浜富士図、伝 司馬江漢、18~19世紀

 一人の女性が海辺に座っていて風情がある。

『柳の糸』 江島春望、葛飾北斎、寛政9年(1797)

七里ヶ浜より江の島・富士遠望、歌川国芳、文政年間(1818-30)

相州七里浜、柳々居辰斎、文化(1804-18)中期頃

 これも柳々居辰斎で蘭字枠。

勢州 二見ヶ浦、昇亭北寿、文政年間(1818-30)以降

蝦蟇仙人図、長谷川雪堤、19世紀

賀奈川沖本杢之図、葛飾北斎、文化(1804-18)初期

 神奈川沖浪裏の約30年前の作品。富士山は無いが、波の形がグレートウェーブの構図に似ている。唐草模様の枠。

すみだ北斎美術館 - 賀奈川沖本杢之図

おしをくりはとうつうせんのづ(パネル)、葛飾北斎

冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏、葛飾北斎天保2年(1831)頃

すみだ北斎美術館 - 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏

芥子(パネル)、葛飾北斎天保(1830-44)初期頃

 冨嶽三十六景の波のように左へ大きく半円を描き屈折しながら伸び上がる「伸暢感覚」の構図を花鳥画や妖怪絵でも用いている。

すみだ北斎美術館 - 芥子

百物語 さらやしき、葛飾北斎天保2~3年(1831-32)頃

 皿屋敷伝説のお菊を描いた妖怪絵。井戸からあらわれるお菊の描く軌跡が半円を描く。

すみだ北斎美術館 - 百物語 さらやしき

諸国名橋奇覧 かうつけ佐野ふなはしの古づ、葛飾北斎天保5年(1834)

 船橋とは船を並べた上に板を渡して橋としたもの。水の流れにたわんだ橋が半円形に描かれる。

すみだ北斎美術館 - 諸国名橋奇覧 かうつけ佐野ふなはしの古づ

椿説弓張月』続編 巻一  英雄を狷で海神節婦義士を溺らす、葛飾北斎、文化5年(1808)

北斎漫画』七編 阿波の鳴戸葛飾北斎、文化14年(1817)

富嶽百景』二編 海上の不二、葛飾北斎天保6年(1835)頃

 鉤爪のような波頭の先に千鳥が描かれており、波しぶきが鳥となって飛び去っていくよう。

波濤図 (高精細複製画) 、葛飾北斎、弘化4年(1847)

 「綴(つづり)プロジェクト」(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)による高精細複製画。

波濤図|作品紹介|綴プロジェクト

 

第3章 グレートウェーブ インフルエンス ―その波は、どこへ行くのか?

3章1節 北斎以後の絵師やアーティストたちへの波及

諸国名所 親志らづ、魚屋北溪、天保5~6年(1834-35)

本朝名所 相州七里ヶ浜歌川広重天保3年(1832)頃

相州江之嶋岩屋之図、歌川広重天保4年(1833)頃

冨士三十六景 駿河薩タ之海上歌川広重安政6年(1859)

 波頭の先に千鳥が見られ、神奈川沖浪裏、海上の不二の影響が見られる。現代の上から見た構図ではない。

芳年武者无類 遠江北条時政月岡芳年明治16年(1883)

 北条時政が江の島弁財天に参拝したところ、龍女が現れ3つの鱗を授けたことにより、北条家の家紋を三つ鱗と定めたとされる言い伝えを描いた。月岡は浮世絵の衰退期に人気を誇ったことから「最後の浮世絵師」と呼ばれる。

 

4階へ

神奈川沖浪裏、福田美蘭、平成8年(1996)

 神奈川沖浪裏を左右反転したもの。

ちょっと可笑しなほぼ冨嶽三十六景 太陽から見た富士山、しりあがり寿、令和3年(2021)

 真っ赤に燃える太陽のフレア越しに見た地球(富士山)。

 

3章2節 プロダクトデザインへの波及

BE@RBRICK 葛飾北斎「神奈川沖浪裏」100% & 400%、令和3年(2021)

「レゴ ブロックで作った神奈川沖浪裏」ミニチュアスケール、三井淳平、令和4年(2022)

 

4階ホワイエでは、綴プロジェクト高精細複製画「漁樵問答図」特別展示。(原画はアメリカの国立スミソニアン協会フリーア美術館所蔵)

すみだ北斎美術館 - 綴プロジェクト高精細複製画「漁樵問答図」特別展示

高精細複製画制作:綴プロジェクト(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)

京都文化協会とキヤノンが2007年より共同で推進している社会貢献活動で、キヤノンの入力、画像処理、出力に至る先進のデジタル技術と、京都伝統工芸の匠の技との融合により、オリジナルの文化財を忠実に再現した高精細複製品を制作している。

漁樵問答図|作品紹介|綴プロジェクト

 

4階の常設展

1すみだと北斎、ゆかりの地探訪

須佐之男命厄神退治之図(推定復元図)

2習作の時代、浮世絵界にデビュー

新板浮絵 両国橋夕涼花火見物之図

すみだ北斎美術館 - 新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図

3宗理様式の時代、江戸琳派の世界へ

吉原遊郭の新年

4読本挿絵の時代、人気イラストレーターとして

5絵手本の時代、「北斎漫画」の誕生

一筆画譜

すみだ北斎美術館 - 伝神開手 一筆画譜

北斎漫画

6錦絵の時代、「冨嶽三十六景」の制作

諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝

冨嶽三十六景 凱風快晴

すみだ北斎美術館 - 冨嶽三十六景 凱風快晴

諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし

すみだ北斎美術館 - 諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし

7肉筆画の時代、晩年まで画道を追求

朱描鍾馗

富士越龍図(撮影禁止)

北斎のアトリエの再現模型

葛飾北斎の臨終の言葉は「あと10年、いや、あと5年生きれば本当の絵かきになれたのに」と伝わっている。

 

昼食は、こがね製麺東陽町店で、かけうどん小、かき揚げ。

年間400万人が訪れる讃岐うどん店「こがね製麺所公式ウェブサイト」

 

江東区芭蕉記念館

芭蕉記念館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

2階は、2024年度 松尾芭蕉生誕380年記念特別展「松尾芭蕉~その作品と生涯~」。

2024年(令和6年)は松尾芭蕉が誕生して380年。

俳諧(俳句)は和歌・連歌から派生し、言語遊戯として親しまれていたが、それを芸術の域に高めたのが松尾芭蕉

2024年度 松尾芭蕉生誕380年記念特別展「松尾芭蕉~その作品と生涯~」 | 芭蕉記念館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

 

甲子吟行野ざらし紀行)、1780年(安永9年)刊行

 芭蕉の最初の俳諧紀行文。

芭蕉遺愛の石の蛙(伝)

天保6年加藤宗清作芭蕉

芭蕉涅槃図

芭蕉を象徴する笠、杖、頭陀袋が娑羅双樹を模した木の上に描かれる。芭蕉が句に詠んだ蛙や猿などの生き物も傍らに集まっている。

芭蕉は寛政5年に桃青霊神、1806年に飛音明神、1843には「花の本大明神」の神号が朝廷から送られ、神となった。

 

3階

ミニ企画展示「芭蕉の肖像と俳画」。

常設展示。

ここ深川で「古池や 蛙飛びこむ 水の音」を詠んだ。

芭蕉のすごいところは、蛙の鳴き声ではなく、飛ぶ蛙を詠んだこと。飛ぶ蛙を面白おかしくではなく、静けさを強調する音として詠んだこと。

奥の細道は150日、600里(2400km)で、詠んだ句は50句。日光、白河、松島、平泉、立石寺出羽三山、酒田、鶴岡、新潟、金沢、永平寺敦賀、最後は大垣まで行った。

 

2020年には、奥の細道サミットin江東が開催された。

奥の細道サミットin江東 | 芭蕉記念館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

本館庭園には「草の戸も 住み替る代ぞ ひなの家」「ふる池や 蛙飛こむ 水の音」など句碑3基がある。

入口で男性に写真を撮るよう頼まれた。金沢在住の方で、これから芭蕉の道を辿るらしく、スタート地点として「草の戸~」の石碑の前で写真を撮った。

 

芭蕉庵史跡展望庭園、芭蕉稲荷神社にも行く。

芭蕉庵史跡展望庭園の閉園後は、「芭蕉像が回転しライトアップされる」らしいが、どういうことかイメージできない。

萬年橋からの眺め。

富士山は見えず。

 

清澄庭園

明治11年岩崎弥太郎が社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画し、明治13年に深川親睦園として竣工した。その後も造園は進められ、明治の庭園を代表する回遊式林泉庭園が完成した。

関東大震災で被害を受けたが、避難場所としての役割を果たした。岩崎家は庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年に東側半分を公園用地として東京市に寄付し、市は昭和7年7 月に公開した。

清澄庭園|公園へ行こう!

 

磯渡りを通って、大泉水をまわり、富士山(築山)が見える。石仏群もある。

佐渡赤玉石、秩父青石、紀州青石、真鶴石など、多くの庭石がある。これらの石は岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたもの。

大正記念館は、当初は大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したものだったが、戦災で焼失した。昭和28年に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建され、平成元年4月に全面的に改築された。

 

深川江戸資料館

深川江戸資料館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

伊能忠敬松平定信滝沢馬琴曲亭馬琴)、佐久間象山伊東甲子太郎、七代目市川団十郎など深川に関係のある人物の紹介。

メインは、天保年間頃の深川佐賀町の想定復元。

屋根の上に猫もいた。

横綱大鵬顕彰コーナーもある。

横綱大鵬顕彰コーナー | 深川江戸資料館 | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団

17時03分に清澄白河駅発の都営大江戸線で帰る。

 

芭蕉俳句の散歩道は行かなかった。

付近の採荼庵跡は杉山杉風の庵室跡で、「おくのほそ道」出立の地。杉山杉風蕉門十哲に数えられた松尾芭蕉の門人で、芭蕉を経済的に支援したパトロンでもある。